芳醇な“飴色の宝石”|まる畑ほし柿生産組合のほし柿

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 「  ほし柿」(まるはたほしがき)は、島根県松江市東出雲町の畑(はた)地区で作られる干し柿の逸品だ。白い果糖をまとった実はふっくらと柔らかく、果肉をすっと裂くと中は輝くような飴色。糖度80といわれる抜群の甘さながら、その味わいは限りなく上品でやさしい。バターやチーズなどと組み合わせて料理にもアレンジされ、有名シェフをはじめ、多くの人に絶賛されている。

 畑地区の柿栽培の歴史は、毛利と尼子が戦った戦国時代まで遡るといわれる。今では山肌に約5000本の柿の木が栽培され、秋には「柿小屋」にすだれのように干し柿が吊るされる。除草剤を一切使わないなど土づくりからこだわり、今も手むき、天日干し、無添加の伝統製法が受け継がれている。19戸の生産農家すべてが島根県の「エコファーマー」に認定され、高い意識で作られる極上の干し柿。生産量が限られ、都内でも紀ノ国屋など数ヶ所でしか購入できない貴重な品を、この機会に「風土47」の特別価格で手に入れよう。

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■最上級の西条柿を育む畑地区の気候風土

 
 「 ほし柿」の材料となる西条柿は糖度が20あり、約200種ある柿の中でも最も高い品種といわれる。これが干すことによって約4倍にもなる。

 畑地区がなぜ最高級の干し柿の産地になったのか。まずは西条柿の栽培のルーツからたどってみよう。

 畑地区が広がるのは、松江市と安来市の境界にそびえる京羅木山(きょうらぎさん)の中腹、標高150~200mの一帯だ。戦国時代、毛利元就率いる毛利軍が出雲の戦国大名であった尼子氏を攻めた時、1562年に陣地を構えたのがこの京羅木山。一帯では長きにわたって戦いが繰り広げられた。合戦の最中、毛利軍は食料として柿を植え、干し柿を非常食にしたといわれる。畑地区で栽培されている西条柿は、毛利元就の領内だった広島県東広島市(旧西条町)で古くから栽培されていた品種。畑地区に西条柿をもたらしたのは毛利軍ではないかと考えられている。

 

京羅木山の山肌に柿小屋が並ぶ畑地区。眼下には約4km南に広がる中海を見晴らす
 
 
 「畑の干し柿作りが文献に登場するのは約200年前の文化6年(1809年)ですが、地区には推定樹齢500年の柿の木も多く点在しています。ですから、戦国時代から柿が栽培されていたと考えられます」。そう話すのは畑ほし柿生産組合の販売・営業担当理事である冨士本(ふじもと)数彦さんだ。

 幸いなことに、畑地区は柿の栽培と干し柿づくりに適した環境だった。粘土質の多い土壌は夏でも水分を保ち、柿の実が太る。乾燥して霜が発生しにくい地形や寒暖の差が大きいことも、柿の栽培や干し柿の加工には適していた。


材料となる西条柿は肉質がきめ細かく、糖度が高いのが特徴
 
 畑地区の柿がどれほど優れているかを証明したのが、昭和31年~34年まで行われた島根県西条柿優良母樹選抜事業だ。柿は接木(つぎき)で育てるため、実の形や色、生産量が優れた母樹を選ぶ事業を行ったのだが、県内で5本選ばれた『優良指定母樹』のうち、なんと4本が畑地区の樹だった。


お話を伺った冨士本さんご夫妻
 

■「柿づくりは地域づくり」。土壌からこだわる生産農家の取り組み

 
 環境がいくら柿栽培に適していても、それをどう活かすかは生産農家にかかっている。

 「畑地区は全22戸のうち19戸が柿の生産農家です。ですから柿づくり、干し柿づくりはまさに地域づくりです。どういう取り組みをするかで地域の在り方や未来が決まってきます」と富士本さんは話す。

 畑地区では古くから団結して安心、安全な干し柿づくりに取り組んできた。

 昭和45年からは、干し柿の生産において一般的な手法である硫黄燻蒸を全面的に廃止した。硫黄燻製は硫黄を燃焼させて二酸化硫黄を発生させ、干し柿の防虫や黒変防止を行うものだ。食品衛生法で硫黄の残留濃度が決められており、基準内であれば問題ない。多くの干し柿の産地で使用されている方法だが、畑地区ではより自然に近い味を求めて廃止を決めた。

 

除草剤を使わないため、草刈りも重労働だ
 
 

硫黄燻製も機械乾燥も行わず、昔ながらの製法で作られる
 
 昭和60年からは除草剤の使用を禁止。平成10年頃からは化学肥料の使用を制限し、堆肥(たいひ)などの有機物を投入した土づくりをしている。

 そして、平成19年からは継続して19戸の生産農家すべてが、島根県から果樹部門で「エコファーマー」の認定を受けている。エコファーマーとは、科学肥料や化学農薬の使用量を島根県標準の7割以下に抑えて農産物を栽培する農業者のこと。個人で認定される生産者はいるが、地域全体で認定を受けているのは県内で畑地区だけだという。

 かつてマツクイムシ駆除のために広範囲への農薬散布が決まったことがあったが、冨士本さんたちの先代が「畑地区に農薬をまいてほしくない」と散布を断った。その時、大量の農薬が散布されていたら、今の「 ほし柿」があったかどうか……。

 
 
 「何百年もの歴史の中で、時代ごとによきリーダーがいて、皆で知恵を出し合い、団結して畑の干し柿づくりを守ってきた。今、私たちが最高級の干し柿を提供できるのも先達たちのおかげです。本当に感謝しています」と冨士本さんは語る。
 

畑地区の生産農家のみなさん。「私たちが作っています」
 

■晩秋には柿すだれでオレンジ一色に染まる

 
 「 ほし柿の一番のこだわりは天日乾燥でしょう。柿小屋で1ヶ月間、じっくりと乾燥させます」と富士本さん。ほかの干し柿の産地では機械乾燥させることも多いが、畑では生産農家全19戸がそれぞれ干し柿専用の乾燥場である「柿小屋」を持ち、ここで乾燥させる。じっくりと干された柿は、ゆっくりと甘みが増し、熟成され、芳醇な干し柿となる。日持ちもよく、状態によって1年ほど保存できるものもあるという。

 柿すだれでオレンジ一色に染まる晩秋は、まさに畑地区の干し柿づくりのハイライトだが、ここにいたるまでにさまざまな農作業が行われている。

 1~3月には、柿の枝の剪定や、虫の越冬を防ぐ「樹皮削り」、落ちた葉や枝の除去を行い、3~4月には土づくりのために堆肥などの有機物を投入。5~6月の開花期にはミツバチで受粉させる。開花して実が付けば間引きを行い、この間、夏の暑い時も草刈りなどを行っている。

 10月末から11月になると、いよいよ収穫だ。採った柿はヘタを取り、手作業での皮むきが行われる。生産農家1戸が育てる柿の木は300~400本で、1戸が作る干し柿はおよそ2~3万個。その数の柿の皮を手でむくのだ。西条柿は味は良いが、縦溝が入った形状や軟化しやすい性質など加工には手間と技術が必要だという。むいた柿はサイズ選定を行い、縄を使って柿小屋に干す。約1ヶ月間、乾燥させて出荷するが、組合では出荷基準を決め、柿小屋を巡回しての出荷前検査、箱詰めしてからの最終検査を行い、厳しく品質をチェックしている。こうして無添加の極上の干し柿が出荷されるのだ。

 「自然が相手の仕事ですから、温暖化の影響で乾燥が進まなかったり、苦労もあります。でも『懐かしい味ね』と喜んで食べてくださる方々のためにも安心、安全な干し柿づくりを、自分たちも楽しんで続けていきたい」と富士本さん。柿渋の活用や柿の木オーナー制度など、新しい取り組みも広がっている。

 今年5月にはミラノ国際博覧会の日本館に出品。中国やタイなど海外からの取材や視察も増えてきた。出雲の山間で静かに育まれてきた飴色の宝石は、今や世界に向けて輝きを放っている。

 

10月末頃から柿の収穫が始まる

畑地区全体で30~40万個の干し柿を作る

皮をむくのは手作業だ
 
 

太陽の光を浴びてじっくりと乾燥させる
 

さまざまな工程を経ていよいよ出荷
 

■“風土47”の特別価格で取り寄せられます

 
畑ほし柿生産組合の「 ほし柿」が300円お得な特別価格で購入できます。この機会にぜひお求めください。

(*2016年1月14日~19日には渋谷東急東横店8階の第25回島根物産展~島根フェア~に出品します)。
 
-お取寄せ・ご注文方法-
 
風土47・特選「  ほし柿」
  10個化粧箱入り 4,500円(送料・税込)
 
・ご注文方法
 
  畑ほし柿生産組合ホームページのお問合せフォームからお申込みください。
 
「件名」は「お問い合わせ」のままにしてください。
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「お問い合わせ内容」に、必ず「風土47・特選   ほし柿」とご記載ください。
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贈答用として、申込者以外に発送の場合には、その旨もご記入下さい。
 
・お支払方法
 
  発送品に、郵便振替用紙を同封しますので、商品到着後10日以内にお支払い(手数料は同組合負担)願います。
万が一商品に傷みがある場合は、上記お問合せフォームよりご連絡ください。
 

白い果糖をまとった極上の干し柿

化粧箱に入った10個入りは贈答用にもおすすめ
 


取材 中元千恵子(トラベルライター、日本旅行記者クラブ、日本旅のペンクラブ会員)