

昨年2月に眺めた今は失われた風景の
石巻市の石ノ森章太郎萬画館あたり
3日は和歌山・加太の淡嶋神社など各地で雛祭り、12日は奈良・東大寺二月堂ではお水取りなど春が足音高くやってきます。けれど今年は各地で雪や寒気が長く続き、梅は半月遅れ、桜も1週間は遅れる模様です。
心も身も弾む春3月ですが、11日は未曾有の大災害に見舞われた東日本大震災から1年目。加えて終わりの見えない福島原発事故による放射能被害。復興も遅々として進まず、還ることのない命、癒えることのない心の痛みなど、日本人全体の春はまだまだ遠くに思われます。 しかし万物甦る春3月、大きな飛躍への旅立ちにしたいと願います。


意匠を凝らした陶芸店が連なる城内坂通り

気軽に出入りができる店の1つの「陶庫」

益子焼で味わう「カフェ・フーネ」の南蛮おこわ

世界にも知られた陶芸家濱田庄司の工房
道沿いにはモダンなギャラリースタイルや気取らない店構えなどさまざまな陶芸店。特にゆるやかな起伏の城内坂通りに来ると、趣のある意匠を施した30ほどの窯元が軒を連ねるように続いています。店先に並ぶのは風雅でのびやかで品のよい陶器。やや高価な焼き物が目につきますが、益子焼といえば本来は艶のあるなめらかな肌合いの温もり感じる厚手のふだん使いの日用雑器です。
大正末期、陶芸家・濱田庄司氏がこの地に移住し、“用の美”を唱える民芸運動を進めながら作陶を続けたことで益子焼は大いに隆盛しました。長屋門、大谷石の蔵、茅葺き屋根の豪壮な名主屋敷を使った母屋からなる氏の旧宅を開放した益子参考館には、作品や氏が使った工房、登り窯などが当時の雰囲気のまま残されていました。
18軒の窯元では陶芸の体験教室が開かれ、雛めぐり(4日まで)も催され、幾つかの窯元ではレストランやカフェを併設、益子焼の器で料理も味わえました。
なお、益子には近年、個性的でおいしい手づくりパンの店が増え、今は7~8軒が人気を呼んでいるとのこと。
窯元をのぞいたり、掘出し物を探したり、陶芸体験するだけでなく、歩いたり、食べたりの楽しみも厚手の町になっているようでした。
交通は益子駅までJR水戸線下館駅から真岡鐡道で約30分(SLでは36分)またはJR宇都宮駅から益子駅行きバスで1時間7分。
<問合せ>・益子町観光協会 ☎0285-70-1120


美しい勾配の石垣の上にそびえ立つ丸亀城

勾配と石積みがみごとにそそり立つ美しい石垣

丸金のマークがもてはやされた金毘羅渋うちわ

丸亀港にある「うちわの港ミュージアム」
瀬戸内海の春といえばなぜか、与謝蕪村の俳句を思い出します。かつて金毘羅参りの船もそんな瀬戸内海を渡ったのでしょう。丸亀はその船着場として賑わった港で、今は陸路の瀬戸大橋の渡り口になっています。
また江戸時代は京極氏7代、5万石の丸亀城の城下町としても栄えました。とりわけ50メートルの高さの石垣は“扇の勾配”と呼ばれる美しさで知られています。
この城跡へは大手門をくぐって見返り坂を上ります。途中で振り返りたくなるほど急な坂道ですが、立ち止まって見上げる石垣は切り石をぴったり合わせた切り込みハギを中心に、野面積み、打ち込みハギなどいろいろな石積み技法が見られます。天守閣からは、四方にみごとな展望が開けました。
見下ろす丸亀は全国90パーセントの生産を誇る日本一のうちわの町で名高い町です。「伊予竹に土佐紙貼ってあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と原材料産地を唄い込んだ歌もあります。全国から集まる金毘羅さんの参詣客を目当てに江戸初期に始まり、藩政時代は武士の手内職として続いたといいます。
現代はほとんどがポリうちわですが、軟らかいしなり具合の竹の骨は手に疲れないと、今もファンが少なくありません。手作りでていねいに作られる“丸亀うちわ”はしなやかで丈夫な伝統工芸として400年間受け継がれています。
もう1つ、近年、香川県一円にブレークしているのが新名物の“骨付鶏”。皮はパリッ、中は肉汁じわり、鶏のもも肉丸ごとの1本焼きで、身がほっくり柔らかいひなどり、身がしっかり、脂ののったおやどりの2種があります。
始まりは昭和も戦後間もないころとのこと。発祥地がここ丸亀で、元祖的存在が丸亀駅北口近くの居酒屋「一鶴」とのことですが、休日などは行列のできる人気店です。
交通は丸亀駅まで高松駅から快速で25分、岡山駅から特急で40分。
<問合せ>・丸亀市観光協会 ☎0877-24-8816


・1箱5個入り780円~
・静岡県松崎町桜田149-1
・☎0558-42-0010