
若葉、青葉に陽が照り輝く5月が過ぎて6月になりました。炎暑の7月との間にあって、どこかぼんやりとした存在感の月です。しかも梅雨前線が北上するうっとうしい季節です。
とはいえ、田野では稲穂が日増しに生育し、梅の実が熟し、古社寺、民家の庭では花菖蒲やアジサイなど山川草木が勢いを増し続けるシーズンでもあります。
旅の途中でそんな雨に遭った時、旅空子のボクはふだん駆け足になりがちな博物館や美術館などでじっくり鑑賞したり、しっとり濡れて趣を深める城下町、宿場町など古い歴史の町並みを歩いたりします。
梅雨がなく新緑眩しい北海道あたりも旅の狙い目でしょう。広やかな山野にルピナス(昇り藤)やエゾカンゾウ、ハマナスが咲き出し、原生花園も色とりどり。
梅雨は黴雨(ばいう)とも書くように、黴(かび)が生えやすい時期ですから食中毒にご用心‼です。


夏の到来を伝える甘さほどよい京都・仙太郎の水無月(1個210円)
6月は陰暦では水無月と呼びます。今のカレンダーでは7月になりますが、和菓子屋では「水無月」という名のお菓子が作られます。
1年の半分、折り返しに近い6月30日の厄払いの茅の輪をくぐりの神事「夏越の祓(なごしのはらえ)」にちなんで白ういろうに甘い煮小豆をのせ三角形に切った季節菓子です。
もっちりした食感のういろうは暑気を払う氷に、美味しい風味が際立つ小豆は悪疫除けの見立てのようです。京都や金沢、東京などの多くの和菓子店では期間限定で販売します。
また6月16日には昔、宮中や将軍家で行われた厄除け・招福を願って菓子を食べる嘉祥(かじょう)の儀式にちなんで、1+6=7種の嘉祥(かじょう)菓子を作る老舗も少なくありません。そのような風習から6月16日は「和菓子の日」に制定されています。


赤瓦屋根が甦って壮麗さを増した鶴ヶ城天守閣

昔町の面影残す土蔵づくりの七日町通り

江戸期の陣屋を移築した「田季野」のわっぱ飯
福島第一原子力発電所の事故以来、観光不振の福島県。遠く離れた会津若松も風評被害を受けていましたが、NHK大河ドラマ『八重の桜』の放映によって、今は観光客の出足も回復しているようです。
会津といえばなんといってもドラマにも出てくるように、明治元年~2年に薩摩・長州を中心とする新政府軍と旧幕府軍の中心だった会津藩が激闘を繰り広げた戊辰(ぼしん)戦争による悲劇の歴史が忘れられません。
籠城戦に耐えた鶴ヶ城もついに開け渡され、のちに解体されます。しかし昭和40年に地元有志の熱い思いで天守閣が再現されたのです。昨年、赤瓦屋根が復元され、往時の壮麗な姿をしのばせる天守閣に上ってきました。内部は歴史を分かりやすく展示した博物館になっていて、最上階からは広やかな会津平野が一望できました。
城域には県立博物館(八重の会津・京都時代の資料を展示する特別展も開催中)、ドラマのセットや衣装などを展示する八重と会津博・大河ドラマ館。近くには家老・西郷頼母(たのも)邸を復元した会津武家屋敷、白虎隊自害で知られる飯盛山、白虎隊記念館、多くの俊才(八重の兄・山本覚馬も)が学んだ会津藩校日新館などどこもけっこうな人出でした。
ドラマをきっかけに山本覚馬・八重生誕地碑、父・権八の眠る光明寺、新島襄と八重が泊まった七日町の清水屋旅館跡なども注目を集めていました。
商人町であった七日町通りでは白壁土蔵やレンガ、モダンな洋風建築などが町の賑わいや暮らしぶりがしのばれます。山本八重と鉄砲展を開催中の会津新撰組記念館もあります。
棒だら、こづゆ、わっぱ飯、地酒、味噌など会津ならではの風土から生まれた、ここならではの名物もいろいろ味わいました。
ドラマのゆかりだけでなく会津若松は歴史、文化、物産、そして人情も懐深く、味わいも多彩でいつも訪ねても魅せられる町ですが、いつ行ったらいいのか? それこそ、今でしょ‼
<交 通>
・磐越西線会津若松駅下車、天守閣へは徒歩20分
<問合せ>
・会津若松観光物産協会 ☎0242・36・5043


金魚ちょうちんを飾る白壁づくりの町並が続く本町通り

江戸時代から続く香りも旨みも強い甘露醤油(重枝醤油店)

200年余続く老舗の藤坂屋本店の柳井名物の「三角餅」

山口県南東部、瀬戸内海沿いに港で栄えた柳井(やない)があります。その名残を残す白壁土蔵の町へ20年ぶりに行ってきました。
駅前からの10分ほどの道はすっかり変わっていましたが、重要伝統的建造物群保存地区の古市・金屋地区に着くと、記憶の底にあった映像がオートフォーカスのカメラのように鮮明に重なって、懐かしさが込み上げてきました。
油商で財をなした広壮な国森家住宅や小田家(むろやの園)をはじめ、今も「甘露(かんろ)醤油」づくりを続ける佐川醤油、重枝醤油店など入母屋造り、本瓦葺き、白壁造りの商家が昔とさして変わらず、電柱・電線を取り払った石畳の通りに連なっていました。
柳井は室町時代、明(中国)貿易で栄えて以来、瀬戸内海沿岸有数の繁栄を見せ、江戸時代は"岩国藩のお納戸(なんど)"と呼ばれ、藩の財政を支えた町なのです。
繁栄の余韻が残る明治中期、父の転任によってこの町で青年期を送ったのが文豪・国木田独歩です。その住まいが記念室として残されていますが、家主だったのが菓子舗の藤坂屋。独歩の作品にもしばしば登場する「三角(みかど)餅」は透き通る餅であんを三角形に包んだこの店の看板菓子で、珍しい形と美味しさで人気の銘菓です。
<交 通>
・山陽本線柳井駅下車、徒歩10分
<問合せ>
・柳井市観光協会・観光案内所
☎0820・23・0030