

クリスマスツリーや電飾で華やぐ函館ベイエリア
暦には12ヶ月をさらに細かくした「二十四節気」がありますが、ご存じのように12月には7日の大雪、22日の冬至があります。
冬至は1年で最も夜の長い日ですが、見方を変えればこの日を境に日中の時間が延び始める太陽が甦る日であり、陰が極まり陽が復活する、運気が向いてゆくという、まさに「一陽来復」であります。
この日は柚子風呂で邪気を払い、南瓜やお粥を食べる習慣があります。
ところで近年、冬の風物詩としてすっかり定着したのは、街路樹や建物などを多数で電飾するイルミネーションです。冬ざれの風景を生き生きとして見せてくれます。
お歳暮、年賀状、忘年会、クリスマス、年越しなど12月の生活暦はさらにこまぎれに過ぎてゆくようです。


クリスタルな色と香りの甘露柚煉
果肉は清々しい香気を放ちますが、酸味が強すぎて生食はしません。けれど柚子味噌、柚子胡椒、柚子ジュースなど調味料や飲料などに使われます。
これをお菓子にしたのが大分市の橘柚庵古後老舗(きつゆあんこごろうほ)。柚子の中皮に砂糖を加えて秘伝の火加減でじっくり煉り上げて作った柚子ジャムが「甘露柚煉」(かんろゆねり)です。
爽やかな甘酸っぱさと清々しい香りに満たされます。そのまま食べても紅茶などに入れてもおいしく味わえます。これを餅米の薄皮種ではさんだ「雪月花」という風雅な茶菓もこの店の人気商品です。
・橘柚庵古後老舗☎097・532・5733


いと忠の巣ごもり

飯田城の赤飯まんじゅう

田月のくるみのたまご

松寿堂の天竜若鮎

はと錦の赤石巻

いとうやの大名きんつば

船橋屋の栗里亭
丘の上と呼ばれる河岸段丘に造られた碁盤目状の町並みは、“小京都”と呼ばれる趣がありました。それが昭和22年の大火で全焼。その記憶も遠ざかり、中京方面からはともかく、岡谷、辰野からの特急はなくなり、首都圏からは感覚的には札幌や福岡よりも遠い町の1つになっていました。
ところがリニア中央新幹線(東京~名古屋・2027年開業)の中間駅に決まり、話題に上ったことから、30年ぶりにふと飯田への旅を思い立ちました。
城下町の面影はほとんどありませんが、復興のシンボルとして地元の中学生や市民によって植えられ育てられたりんご並木(中央通り)周辺の市街地には、茶の湯の盛んだった名残を伝える和菓子の店がたくさんあると聞いたからです。なんでも江戸時代に飯田城主が京の職人を招いてお菓子を作らせたともいわれています。
県庁下伊那地方事務所の林弘志さんの案内で最初に訪ねたのが、黄味あんをホワイトチョコレートで包んだしっとり甘い“巣ごもり”でおなじみの「いと忠」です。社長の横前忠幸さんは意欲的で、中のあんを栗きんとん、カスタードなどいろいろ研究して製造。“市田柿しぼり”は目にも口にも美味しいお菓子でした。
天守閣構えの建物の土産店「飯田城」では、たっぷりのりんごのスライスとパイ生地がフィットした「並木物語」に満足、“赤飯まんじゅう”も試食しました。
赤飯を小麦皮に包んで蒸し上げた赤飯饅頭は飯田の名物菓子で、生クリームとろ~りの“くるみのたまご”が人気の「田月」でも、“天竜若鮎“で知られる「松寿堂」でも、もっちりふわふわの”赤石巻“の「はと錦」でも作られていました。
飯田はまた“きんつば”が名物菓子で、本町に大きな店を構える「いとうや」の極上の北海道産小豆を丹念に焼き上げた“大名きんつば”が広く長い人気菓子です。同店のほっくりした栗を丸ごと麦こがしに封じ込めた“遠山栗”も逸品です。
栗菓子“栗里亭(りつりてい)”が看板菓子の「舟橋屋」では“殿様きんつば”のなでが売られていました。
明治時代、菓子組合が結成された時には300軒もの菓子屋があったとか。今は40軒ほどになりましたが、県内では長野や松本よりはるかに多く、決して甘い戦いではないのでしょうが、各店が共存共栄する<お菓子城下町>でもあります。
<交通>・JR飯田線 飯田駅下車
<問合せ>
・長野県下伊那地方事務所商工観光課☎0265・53・0431
・飯田市産業経済部観光課☎0265・22・4851
・飯田観光協会☎0265・22・4851
・いと忠☎0265・52・2464
・飯田城☎0265・22・8877
・田月☎0256・22・1378
・松寿堂☎0265・22・1930
・はと錦☎0265・22・0810
・いとうや☎0265・24・1372
・船橋屋☎0265・25・2043


くまもんがいっぱいの肥薩おれんじ鉄道車両

古く懐かしいたたずまいの日奈久の薩摩街道

山頭火の像や句碑、足湯のあるいこいの広場

焼き立ても食べられる名物の日奈久ちくわ

地元の人との話も弾む銭湯風の松の湯の男湯
国道3号線を左へ歩いて3分ほど、旧薩摩街道を入ると木造や白壁土蔵など古い町並みが続き、ほどなくポツポツと旅館が現われ、温泉街に入ります。
左右に細い路地が迷路のように延びて、木造3階建ての宿「金波楼」など懐かしく心安らぐ風情に包まれます。
行き当たったのが江戸時代、肥後藩主・細川氏が設けた藩営温泉場をルーツにする、「日奈久温泉センター」。本湯とばんぺい湯、家族風呂からなる新しく大きな日帰り温泉施設で、肌に滑らかなアルカリ性単純温泉です。
湯上がりにセンター近くにある山頭火の像と句碑、足湯があるいこいの広場でひと休み。種田山頭火は全国放浪の俳人ですが、日奈久には3日間滞在し、日記に「温泉はよい、ほんとうによい…中略…出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくない」と書いたほど気に入った温泉でした。確かに海あり山あり、のどかな人情ありの町で、料金200円という「松の湯」「東湯」の大衆的な温泉銭湯も地元の人との話がはずむ親しみ深い風呂でした。
明治16年に捨てる魚がもったいない、と生まれた日奈久ちくわの店が今も5軒ほど。歯切れぷつりで味わい深く、焼く作業風景も見られ、焼き立ても食べられます。
もてなしも温かい心和む、冬でも温和な温泉町です。
<交通>・肥薩おれんじ鉄道日奈久温泉駅下車、徒歩10分
<問合せ>
・日奈久温泉観光案内所☎0965・38・0267
・日奈久温泉センター☎0965・38・0617
・金波楼☎0965・38・0611