

5月は文字通りサツキのシーズン(長野・軽井沢植物園にて)
サツキツツジ(皐月・五月)の花期のこともあり、5月は陰暦の5月と同じに思われがちですが、実際は卯月(うづき)とほぼ重なります。
5月2日は立春から数えて八十八夜。「夏も近づく……」と唄われるように茶摘みが始まり、農事に取り掛かる大きな節目。夏への入口といってもよいでしょう。
天候は「五月晴れ」だけでなく。「五月雨」「五月波」など変化もけっこう激しいようですが、寒からず、暑からず、旅にスポーツに快適な月ではないでしょうか。
「目には青葉、山ほととぎす、初がつお」


直江津駅前通りの三野屋で見つけたのは、その名も?の「継続だんご」。だんごと言っても米粉でなく、白餡を平に丸めて4個を串刺しにし表面を軽く焼いて照りを出したもので、いわゆる団子ではありません。きめ細かい舌触りの中からしっとりした甘さが広がります。林芙美子の『放浪記』に駅の待合室でこの団子を口にして生きる気力を取り戻す、と書かれ、評判を高めました。100年をゆうに超す名物菓子です。

・継続だんご本舗三野屋☎025・543・2538
・大杉屋惣兵衛☎025・525・2500


残雪の鳥海山を望む水の張った象潟の風景

象潟郷土資料館にある往時の象潟の海景

かつて海だった草地に立つ松尾芭蕉銅像

象潟と松島をつなぐ「松島こうれん」
その芭蕉が日光、松島、平泉、山寺などをたどっておよそ2ヶ月半後の8月1日に入ったのが、秋田県南西端、鳥海山の麓の「象潟(きさかた)」でした。
「まづ能因島に舟を寄せて三年幽居の跡を訪ひ、向かうの岸に舟を上がれば『花の上漕ぐ』とよまれ、桜の老い木、西行法師の記念(かたみ)を残す」と書かれたように、象潟は「九十九島」と謳われた松島に匹敵する多数の島からなる風光明媚な潟湖でした。能因法師や西行法師の歌枕を訪ねる芭蕉の大きな目的地であったのです。
芭蕉が訪ねた100年後、地震が勃発、海底が2.4メートルほど隆起して、水が引き、現在のように陸地化して島は黒松の茂る丘になりました。当時の姿は「象潟古形図」でしのぶばかりです。
それでも5月、田んぼが水を張った時期はかすかに往時の景勝の片鱗をのぞかせるというので、昨年の初夏に行ってきました。西行桜のある慈覚大師円仁が開いたという蚶満寺(かんまんじ)、舟つなぎ石、芭蕉句碑、能因島などゆかりの史跡を訪ねていると、過ぎた時代に心がつながるような感じでした。
郷土資料館で見たのが、ササニシキの極薄の煎餅餅をふわっと軽く焼いた色も味わいも淡白で上品な煎餅「こうれん」。聞けばこれを創製したタニ(紅蓮尼)は象潟の生まれで、親同士の約束ながら松島の小太郎に嫁ぐため松島に着いたところ、婿の小太郎が急死。約束した以上は小太郎の妻として嫁し、両親に孝養を尽くしました。姑ら亡きあとは瑞巌寺に入り、心月紅蓮の名を受け尼になります。貞女の鑑として慕われています。生計のため門前で焼いた煎餅が今も売られている「松島こうれん」です。
松島と象潟は景勝や歌枕とともに紅蓮尼による縁の不思議さを思います。
〈交通〉・JR羽越本線象潟駅下車、徒歩15~20分
〈問合せ〉
・にかほ市象潟駅案内所☎0184・43・2174


柳並木と水面に映える倉敷考古館あたりの風景

白壁に黒貼り瓦、黒板壁の土蔵の路地もあちこち

隣家にご飯(まんま)を借りたくなるほどが名の由来の「ままかり酢漬け」

焼いた小麦生地を裏返しにして餡を編笠風に包んだ橘香堂の「むらすずめ」
それらの建物を改装してミュージアムや飲食店、土産物店、宿などに活用して趣のある観光地に生まれ変わって半世紀以上になります。
休日などは人波であふれかえるほどですが、米蔵などを内部改装した考古館や民芸館、美術館など蔵の中に足を踏み入れると、この町で育まれた歴史や文化、芸術、商工業の足跡が分かってきます。
明治以降、水運が衰退した後は倉敷紡績など紡績業で復興。オーナーの大原氏は終戦後まもなく、ローテンブルグ(ドイツ・ロマンチック街道)のような町にしたいの思いを込めて、蔵の改装や町並み保全、工場の活用など町づくりに尽力します。
ギリシャ神殿風の建物の大原美術館やレンガ造りの工場を活用したホテルの倉敷アイビースクエアなど、和と洋、レトロとモダンの町を造り上げたのです。
鶴形山の麓に延びる本町・東町など商都の面影の美しい町並みにも心惹かれます。
食事なら「ママカリ寿司」、お菓子なら「むらすずめ」など。1泊して夕暮れや早朝の蔵の町の小路を歩けば、情趣がいっそう心に染みてきます。
〈交通〉・JR山陽本線倉敷駅下車、徒歩10分
〈問合せ〉
・倉敷市観光課☎086・426・3411
・倉敷館観光案内所☎086・424・0542