

6月の花の紫陽花(飯能・休暇村奥武蔵にて)

茅の輪くぐり(宮崎・鵜戸神宮にて)
今年は6日が二十四節気の「芒種」(ぼうしゅ)。芒とは穀物の穂先の硬い毛のことで、この日を目安に種蒔きや田植えを行ないました。地球の温暖化のせいか、季節が足早になって多くの地方ではその農作業は済んでいます。
変わらないのは1年で昼が最も長く、夜が最も短い6月21日の「夏至」の日です。北海道東端の根室や知床半島辺りは白夜めいた感じの日が続きます。
6月が過ぎると1年の半分が終わります。半年の間に付いた罪やけがれを祓い浄めるための「夏越しの祓え」の行事があり、多くの神社で茅の輪くぐりが行われます。


明治中期に求肥で白餡を包み、梅酢と蜜に漬けたシソの葉でくるんだものを数軒の店が発売。その後統一商標で味を競い合ってきたのです。元祖争いもあるようですが、嘉永5年(1852)創業の漬物店をルーツにする「亀印製菓」が明治25年に「星の梅」で売り出したのが始まりとか。片や明治23年に県令安田定則勧めで売り出したというのが「井熊総本家」。他の店も材料や製法、風味に大差なくそれぞれにひいきが付いています。

・亀印製菓☎029・305・2211
・井熊総本家☎029・221・2605


宿場の面影が残る小鹿野の中心街

旧本陣寿旅館を改装した「観光交流館」

200年続く太田甘池堂の「古代秩父羊羹」

OGANONOのロゴに注目の「夢鹿蔵」

秩父・小鹿野名物の「わらじかつ丼」
町歩きの拠点は2年半前に旧本陣寿旅館を改修した「観光交流館」で、観光情報館や食事処、休憩所などになっています。かつて地質調査に訪れた宮沢賢治の宿泊記録があり、「雨ニモ負ケズ」の詩碑も立てられました。別棟の代官の間は多目的ホールで、250年続く、町民による小鹿野歌舞伎が演じられることもあります。
近くの118年前の銀行の蔵を改装した休憩や食事ができる交流施設の「夢鹿蔵」(ゆめかぐら)には、オートバイ専用の屋根付き駐輪場も完備。両神温泉・薬師の湯の駐輪場とともにオートバイで町おこしするライダー歓迎の小鹿野町ならではの設置です。
宿泊や温浴なら「国民宿舎両神荘」が便利です。
創業200年余の太田甘池堂の「古代秩父羊羹」やビッグな「わらじかつ丼」も小鹿野名物です。
〈交通〉・西武鉄道西武秩父駅からバス約45分、秩父鉄道秩父駅から約40分
〈問合せ〉
・小鹿野町おもてなし課・小鹿野両神観光協会☎0494・79・1100
・観光交流館☎0494・75・4717(食事処ゑびすや)
・国民宿舎両神荘☎0494・79・1221
・太田甘池堂☎0494・75・0132


出石の町とシンボルの辰鼓楼

皿に盛って出てくる出石そば

栗蒸しや沢庵饅頭の湖月堂

沢庵和尚が再興に尽力した宗鏡寺

今は化粧品店の川崎尚之助生家跡
バスの終点は小高い台地に石垣や長塀、隅櫓を見せる出石城の麓。江戸時代に築かれ、松平氏ら城主が入れ替わって、信州・上田から移封され5万8000石を以って治めた仙石氏の時代が明治維新まで続きました。
江戸時代の町は明治の大火で焼失しましたが、住民は江戸の面影を引き継ぐ感じで昔ながらの町を甦らせ、いま見るしっとりした町並みを残してきたのです。
その象徴が三の丸大手門の脇に、太鼓を打ち鳴らして登城の辰の刻を知らせた見張り櫓を模した「辰鼓楼」(しんころう)。明治半ばに時計が取り付けられたといいます。
町を歩いて目に付くのは43軒ほどある「出石皿そば」の店です。そばの風土がない関西方面に繁栄しているのは、そば王国・信州から国替えの時、城主がそば職人を連れてきたことに始まるそうです。
食べ方は信州とは大いに異なり、白磁の出石焼の皿にそれぞれ盛ったそばを、ネギやワサビ、とろろなどを薬味に鶏卵1個を溶いたつゆにつけて食べるというユニークさ。
出石で目を引くのは、漬物のたくあんの創始者でおなじみの沢庵和尚の出身地で、晩年、戻って再興したのが宗鏡寺です。そして昨年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公の八重(綾瀬はるか)の最初の夫の川崎尚之助(長谷川博巳)の出身地であることでにわかに脚光を浴びました。出石藩の藩医の生まれで、生家跡の案内板がかけられました。
〈交通〉・山陰本線豊岡駅からバスで30分
〈問合せ〉
・但馬國出石観光協会☎0796・52・4806