

色艶、形もみごとな銘柄品の「志士庫栗」
新米が出回り、クリ、リンゴ、カキ、ユズなど果樹が実をつけ、サケやサバ、サンマなど海の幸が揚がり、食卓を賑やかに飾ってくれます。
特にクリは日本人好みで、和菓子店ではきんとん、羊羹、饅頭などお菓子をはじめ、市場や家庭ではゆで、渋皮煮、甘露煮、ご飯、おこわなど多種多様に使われます。
その生産量はもとより、色艶、形がよく、甘み、旨み、全国一を誇るのが茨城県。なかでもトップブランドのかすみがうら市の「志士庫栗」が友人から送られてきました。秋の思いに包まれました。



対して香梅の「誉れの陣太鼓」(箱4個660円~)は陣中での軍の進退を合図する太鼓からの名付けですが、誕生は戦後になってから。みずみずしい北海道産小豆餡の中に求肥を包み込んだ円筒型の和菓子で、滑らかな舌触りのさらりとした甘さが人気です。金紙の包装紙が豪華さを演出します。
・老舗園田屋☎096・352・0030
・お菓子の香梅白山本店☎096・371・5081


中小路に面した武家屋敷の高橋家

みごとに復元なった大名庭園・楽山園

道の駅甘楽のふるさと定食1080円

農産品が揃った道の駅甘楽の売店
信長の次男・信雄(のぶかつ)が2万石で入封したのは来年で400年に当たる元和元年(1615)。以来8代152年が続きました。小大名にしては過分なまでの立派な池泉回遊式の大名庭園だった楽山園がありましたが、ここ10年をかけて復元が完了。郊外の崇福寺には織田家7代の位牌や墓が残されています。
整然と分けた武家地には広い中小路には幕末の松平氏の時代に勘定奉行を務めた長屋門や塀を巡らせた高橋家が名残を色濃く留めています。隣接して奥方と腰元が住んだ松平家大奥や食い違い郭の残る山田家にも城下町の面影が伝わってきます。
この武家や町家、田畑など随所に雄川の水を生活用水として採り入れた雄川堰(おがわぜき)は織田氏の時代に整備された水利施設。今も大堰や小堰に清らかな水がとうとうと流れ続けるのを見るにつけ、先見性に敬服します。日本の名水百選にも選定されています。
三方を山に囲まれたのどかなコンニャクの里……東国で果てた織田家をしのびながら訪ね歩きたい町です。
<交通>・上信電鉄上州福島駅から徒歩40分、タクシーで5分、上信越自動車道富岡ICから県道46号線経由で約4キロ
<問合せ>
・甘楽町観光協会☎0274・74・3131
・道の駅甘楽☎0274・74・5445


歴史を象徴する小倉城天守閣

近代都市の表情を見せる小倉駅

旦過市場で売れ筋のぬか味噌炊き

人気銘菓の湖月堂の栗饅頭6個入り756円

長崎街道の起終点の木橋の常盤橋
今は工都・北九州市の中心として高層ビルやアーケードの商店街などが密集する活気あふれる町ですが、紫川のほとりには4重5層の天守閣がそびえ、ビル街に魚町、米町、紺屋町、鍛冶町、船場町などの町名が残り、歴史を呼び覚まされます。
中でも昔ながらの小店が連なる旦過(たんが)市場は名物のサバやイワシのぬか味噌炊きや明太子、魚介、惣菜などの店が120軒ほど。市民の台所の賑わいを見せています。この近くで生まれ育ったのが小説や評論、古代史など幅広い文筆活動で知られる松本清張です。城跡の一角には記念館もあります。
また古船場町には美しい軍人の未亡人に身分違いの一途な恋情を抱き続けた荒くれ人力車夫“無法松”こと富島松五郎がまるで実在したかのように伝える石碑もあります。軍医として森鴎外が住んだ家も保存されていました。
紫川にかかる木造の常盤橋のたもとの案内板は長崎から江戸へ砂糖など舶来品や外国人、大名行列などが往来した歴史を伝えています。
新幹線で素通りしがちな小倉ですが、歩けば時代の足音が心に響く町です。
<交通>・山陽新幹線・鹿児島本線小倉駅下車
<問合せ>
・北九州市観光情報コーナー☎093・541・4189
・旦過市場☎093・521・4140
・湖月堂☎093・521・0753