

蔵の町・栃木を象徴する巴波川に渡された鯉のぼり
2日は茶摘みの始まる八十八夜、6日は立夏、11日は長良川の鵜飼開き。
うっとうしい梅雨入りまではまだ間があり、日本列島の大半は初夏という清々しい響きの1ヶ月である。


福島駅前で迎えられる芭蕉・曽良像と古関裕而像

飯坂温泉のシンボルの鯖湖湯と分湯槽

大正時代から商標登録の「ラヂウム玉子」

高湯温泉の共同浴場「あったか湯」

木樋で送られる高湯の源泉と湯たまご饅頭

荒川に沿ってひらけた土湯温泉街

なかやの饅頭と金蒟館のコンニャク
福島駅前では高校野球大会歌の『栄冠は君に輝く』などの名曲で知られる福島市出身の古関裕而や芭蕉・曽良の像に迎えられた。芭蕉といえば「奥の細道」の旅で旧暦5月1日(6月17日)に飯坂温泉に泊まっている。
思い立って駅から電車で25分、飯坂に行って芭蕉も入ったという熱めの共同浴場の「鯖湖湯」に浸かり、ほてる体で坂の町を散歩。目についたのが個包されたラヂウム玉子だ。殻をむくと白身がゼリー状、黄身がクリーミーな温泉卵で、そのままはもちろん、ご飯やラーメンにのせてもいい。菅金商店(024・542・2643)など6店が共存共栄する人気土産なのである。
福島はこの飯坂をはじめ、バスで40分の所に高湯と土湯の趣異なる3名湯をもつ温泉都市。欲張って共同浴場をハシゴした。
その1つの高湯温泉は750~800メートルの高所にある効能高い白濁の硫黄泉が自噴する源泉かけ流しのいで湯で、共同浴場「あったか湯」は源泉に至近のピュアな湯がたっぷりで気持ちよい。檜や岩など趣のある湯船をもつ吾妻屋、玉子湯、花月ハイランドホテルなど9宿が磐梯吾妻スカイラインの入口近くの道沿いに点々とあった。
市街から南西16キロの土湯温泉は約10種の泉質と湯量の豊富さが自慢の古湯で、荒川の渓谷に多くの旅館や「中之湯」「こけしの湯」など公衆浴場が飲食・土産物店をまじえて温泉街をつくっている。小さな湯船の中之湯は誰もおらず、貸し切り状態。ここではなかや菓子店(024・595・2104)の温泉まんじゅうを手土産に買った。
それにつけても温泉町には饅頭や温泉卵が付き物だ。饅頭は温泉水を練り込むわけでも、温泉で蒸すわけでもないのになぜか異議なく名物に君臨。3つの温泉の共同浴場はどこも300円ほど。宿泊料金も高低さまざまで、選ぶに困らないのが魅力であった。
桜、桃、ツツジ、ショウブのあとにイチゴ、サクランボ、モモのなどが実る季節。福島は花も実も湯もある和みの県都なのであった。
〈交通〉・東北新幹線・東北本線福島駅下車
〈問合せ〉
・福島市観光コンベンション協会☎024・531・6432
・飯坂温泉観光協☎024・542・4241
・高湯温泉観光協会☎024・591・1125
・土湯温泉観光協会☎024・595・2217


北前船で栄えた名残の青石畳通り

数寄屋造りに時代を秘める美保館

美保館で食べた海の幸の昼食

さっぱりとした甘さの醤油アイス

ビュッフェが隣接する美保関灯台
松江方面から海沿いの道をバスやクルマで辿り着くと、入り込んだ海を前に歴史を重ねた旅館や食堂、土産物店が並び、干し魚や焼きイカの匂いが漂っていた。
中世、海の関所を設けて入港する船に課した税収や、1日1000隻も出入りしたという北前船などの出入りで港は殷賑を極めたという。その名残の家紋・屋号の看板をかけた廻船問屋や宿屋、商店が連なる青石畳通りを歩くと、島崎藤村や高浜虚子らも泊まった木造2階の数寄屋造りの美保館本館、土蔵を生かした美保関資料館、美保醤油の醸造元など昔ながらの家並みが歴史を静かに語りかける。
港の西側の小高い丘には、ツツジの名所でもある民謡でおなじみの関の五本松公園、港の北側には隠岐へ配流の際に後鳥羽上皇、後醍醐天皇の行在所となった仏谷寺、半島東端にはドイツ人技師が建てた石造りの白い美保関灯台があった。歴史的遺産や暮らし、みごとな海の景勝が息づいていた。
青畳通りの先でふと立ち寄った太鼓醤油店にはいろいろな醤油製品とさっぱりした甘さの醤油アイスを買った。美保の醤油は陶芸家にして美食家の北大路魯山人に激賞された佳品だとのことだった。
ついでに美保といえば、1992年12月10日、隕石落下の地で知られる。屋根を貫かれた松本さん宅に寄って現場を確認。実物が展示される七類港のメテオプラザに入ってひととき宇宙のロマンに遊んだ。
〈交通〉・松江駅からバス(乗り継ぎ)で約1時間30分
〈問合せ〉
・松江観光協会美保関町支部☎0852・72・2811