

暑い陽射しにめげず長く花をつける
百日紅(東京・高島平第三公園)
東北では上旬におなじみの「ねぶた」「竿灯」「花笠」「七夕」の4大まつり。四国では中旬に「よさこい踊り」「阿波踊り」が続く。
しかし6日と9日は広島と長崎では原爆の日。被災者への鎮魂、平和への祈りは灯し続けなければならない。旧盆は死者の霊が迎え火でこの世に来て、送り火で彼の世に戻る。盆踊りもそうした霊を慰めることが始まりだったという。
野や畑ではひまわり、庭先や軒下では朝顔、街路では百日紅(サルスベリ)や夾竹桃(キョウチクトウ)が灼熱の下で花を長く続かせる。
8月は動的で静的な月ではないだろうか。


十和田湖のシンボルの乙女の像

千変万化の水の妙を見せる奥入瀬渓流(十和田湖観光協会提供)

十和田湖では50分の湖上遊覧も必須

十和田湖名物のヒメマス(十和田湖観光協会提供)

休屋を流れる神田川が県境

発荷峠からは十和田湖が俯瞰できる
7月半ば、八戸駅からのバスで奥入瀬川沿いをバスで2時間20分。焼山から子ノ口までの奥入瀬渓流のなかでもハイライトの石ヶ戸から銚子大滝までは歩いた。
空を覆うブナやナラからの木漏れ日にきらめく渓流は、岩に砕け、岩を滑り、深淵や浅瀬など千変万化の妙を見せながら下る。のたうつように白濁して狂おしく流れ下る「阿修羅の流れ」や、音もなく滑らかに水を湛える静寂美の「九十九島」など随所で息を呑んだ。しゃがめば手で触れられ、水音や冷気、草木の香りが感じられるのも大きな魅力だ。断崖には雲井ノ滝や白絹・白糸・不老・双白髪の4滝など、川には轟音と水しぶきを放つ銚子大滝など、清涼感に浸って歩いた。
子ノ口から湖畔の休屋まで乗った十和田湖遊覧船(0176・75・2201)によると、十和田湖は二重式カルデラ湖で海抜401メートル、周囲46キロ、水深326メートル。青藍色の湖中に突き出す御倉、中山の2つの半島が湖に趣を添えている。
桟橋前広場の周辺にはホテルや土産、飲食店が集まり、観光客が行き交う。多くの人が足をのばす御前ヶ浜の「乙女の像」へはウッドデッキの遊歩道を歩いて15分ほど。語らうように向かい合う2人の裸婦像が樹林に囲まれて立っていた。
団体ツアーのガイドさんは「彫刻家で詩人の高村光太郎が十和田湖開発に尽力した3氏の功績を讃えるモニュメントの制作依頼を受けて、渾身の力を込めて1年余で作り上げた最後の作品です」と話している。昭和28年に除幕された時、「公共の場に裸婦像はいかがなものか」の批判があったともいう。
あれから風雪をしのいで60年余。早くからまぎれもない十和田湖のシンボルになった。もしこの像がここになかったら、十和田湖は味気ないものになっていただろう。
泊まった十和田湖レークビューホテル(0176・75・1500)の窓から神田川を境に秋田県、青森県の看板が見える。十和田湖は青森県の印象が強いが、長い間、湖の県境は曖昧で、青森6・秋田4の割合で決着したのは8年前のこと。
西畔の和井内の地名で思い出すのが、貧栄養湖の十和田湖に明治時代、養魚を志し北海道・支笏湖のヒメマスを取り寄せ、私財を投げ打ち苦難の末に養殖に成功した小坂鉱山技師・和井内貞行。「われ、幻の魚を見たり」の題で教科書にも登場した。
帰途に和井内を経由する国道103号(十和田道)沿いの発荷峠に立った。遠く八甲田連峰を正面に2つの半島が十和田湖に陰影を添えた大観に思わず深呼吸し、背伸びをした。十和田湖は湖上、湖畔、展望台から探勝したい湖である。
〈交通〉・東北新幹線八戸駅から休屋までバスで2時間20分
<問合せ>
・十和田湖総合案内所(国立公園協会)☎0176・75・2425
・十和田湖観光案内所(秋田県)☎0176・75・2351
・十和田湖遊覧船☎0176・75・2909


古くて趣のある2階家が連なる上町通り

歴史をしのばせる凝った看板も多い

薬で栄えた町の栄華の象徴の「薬の館」

ゆったりできる保養センター「美榛苑」

贅沢感も盛った夏の万葉階席

肌がつるつるの湯がたっぷりの大浴場

榛原みやげに人気の昇栄堂の「宇陀川」
近世は織田信雄に始まる織田氏3万石の城下町や伊勢街道の宿場町として、「宇陀千軒」といわれるほど繁栄した。その名残を留める宇陀松山の町並みが重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
同じ市内の榛原駅そばの保養センター「美榛(みはる)苑」の支配人になった友人からの転勤通知のハガキをきっかけにさっそく訪ねることにした。駅に出迎えの石橋正浩さんの車で15分ほど走って、古い町並みの松山地区に着いた。
最初に立ち寄ったのは旧内藤家住宅を使った松山地区まちづくりセンター「千軒舎」(0745・87・2274)。台格子、虫籠窓、煙出しが目を引く広壮な町家は、かつて薬屋や歯科医院にも使われたという。散策マップや情報を得て、そぼ降る小雨の中、古い町並み続く上町通り(伊勢街道)をゆっくり歩いた。
多くは昔ながらの低い厨子(つし)2階建。切妻、塗り籠め壁、桟瓦葺きの間口が広い平入りで、蔵をもつ商家や町家が点々とあり、葛、薬、和菓子、酒、醤油など凝った袖看板や板看板が目に付いた。「ここは葛と薬で栄えた町なんです。葛の吉野や薬の高取なども近いですし」と石橋さんは話しながら、広壮な建物の旧細川家住宅を開放した宇陀市歴史文化館「薬の館」(0745・83・3988)へ。
解説員の話では江戸時代後期の建物で、細川家は腹薬「人参五臓圓・天壽丸」などで財をなした薬問屋・薬商。大広間や座敷、蔵には多種の薬品、看板、郷土資料を展示している。銅板葺破風付き、彫刻飾りのみごとな看板も殷賑ぶりを伝える。藤沢薬品(現アステラス製薬)の創業者はこの細川家の出で、展示コーナーもある。ツムラ、笹岡薬品の創業者もここ宇陀の出身だと聞いた。
城下町の出入口の大手筋の松山西口関門(黒門)を見学して、最後に『初霞』で知られる久保本家酒造(0745・83・0036)に立ち寄り、カフェで足を休めた。
泊まりの「美榛苑」は榛原駅から車で10分の高台に建つ緑に囲まれた静かでゆったりした公共の宿。ナトリウム‐炭酸水素塩泉の温泉は驚くほど肌につるつる、すべすべ。別棟の日帰り大浴場は県外からも入りに来る人気ぶりで「美人の湯として評判なんです」とスタッフの宮田勝則さん。料理も季節感、地元感を織り込んだ工夫されたご馳走だった。この日は関西の夏に欠かせないハモ料理も出た。
土産には卵白を泡立て黄身を衣状に覆って焼き上げた「きみごろも」がおすすめ。表がサクッ、中がふんわりした伝統銘菓で、松月堂(0745・83・0114)が老舗。昇栄堂(0745・82・0033)の「宇陀川」は白餡と宇陀小豆の粒あんをうす皮で包んだ一口サイズの饅頭で、どちらもホッとなごむやさしい味がする。
〈交通〉・近鉄大阪線榛原駅から大宇陀までバスで20分
〈問合せ〉
・宇陀市・宇陀市観光協会☎0745・82・2457
・美榛苑☎0745・82・1126