風土47
今月の旅・見出し
 
 
長野県■北アルプスを仰ぐ水と緑と風光る田園都市・安曇野


北アルプス連峰を仰ぐ広やかな緑の安曇野

渾身の作品が胸を打つ蔦の這う碌山美術館

上高地・明神池畔に奥宮をもつ穂高神社

清冽で豊富な水に恵まれた大王わさび農場

微笑ましい男女双体の「水色の時道祖神」

味も店内の雰囲気もいい一休庵のもりそば

北隣の松川村には安曇野ちひろ美術館がある
 長野県中西部、北アルプス連峰を仰ぐ水と緑豊かな田園は安曇野(あずみの)の名で親しまれている。とくに大糸線沿線の穂高や有明、豊科など地名にも旅情を誘われる。それら3町2村が平成の大合併で文字どおり「安曇野市」になって10年が過ぎた。

 5年前にNHKの朝のテレビドラマ「おひさま」の舞台となった年に訪れたが、4年振りにふらりと初夏の穂高駅に降り立った。駅前には観光案内所や飲食・土産物店が集まり、人気の観光地らしく相変わらず旅行者の姿があった。

 今回もレンタサイクルで最初に立ち寄ったのが穂高のシンボルである蔦のからまる赤レンガの碌山(ろくざん)美術館(0263・82・2094)。碌山こと荻原守衛は1879年、穂高生まれで、アメリカやフランスで絵画を学ぶ。ロダンの「考える人」や本人に出会い、高村光太郎らとの交友によって彫刻家になった。敬慕する人妻・相馬黒光への愛の相克を打ち込めたといわれる「文覚」「女」など意欲的に取り組むが、30歳で夭逝する。

 彼の作品を展示する碌山館や絵画作品を見せる杜江館、交友の高村光太郎や戸張孤雁らの彫刻・絵画を集めた展示棟など緑に包まれた数棟の建物が作る空間にしばし心地よく憩った。

 駅前から古代この地に移住した海人安曇族を祭り、御船祭で知られる穂高神社に参拝し、ペダルも軽く、道端でほほえむ道祖神や花に目を止めつつ、清冽な水が流れる万水(よろずい)川を眺めて大王わさび農場(0263・82・2118)に着いた。

 北アルプスの豊富な湧水を使って1917年に始めた日本最大級のわさび園は、東京ドーム11個分の広さに栽培場、加工所、売店、広場、水車小屋、食事処が揃った観光施設だ。

 さっぱりした甘さのわさびソフトでひと息入れて、穂高川に向かう途中にNHK朝ドラのロケ記念に造られた双体の「水色の時道祖神」があった。

 近くの土手にある♪春は名のみの風の寒さや……の「早春賦歌碑」に懐かしさを覚えた。作詞の吉丸一昌は大分・臼杵市生まれだが、詩想はここ安曇野で得たそうだ。

 駅前のそば処一休庵(0263・82・8000)でもりそばを賞味。信州の旅情が染みた。

 かつて水も緑も花も、風も光る安曇野で会した川端康成、井上靖、東山魁夷の3人は「残したい静けさ美しさ」と感嘆し合ったという。

 パンフレットの「心が渇いたらまた来よう」のキャッチフレーズが心に響いた。

〈交通〉
・松本駅からJR大糸線普通列車で約30分、穂高駅下車(特急では19分)
〈問合せ〉
・安曇野市観光協会☎0263・82・3133
 
神奈川県■西行、藤村、伊藤博文、吉田茂らゆかりの大磯町


関東大震災で崩壊の翌年に再建の大磯駅

藤村が最期の2年余を過ごした旧邸宅

簡素で清々しい地福寺の島崎藤村の墓所

西行の歌を偲ばせる茅葺屋根の鴫立庵

練り物の老舗の井上蒲鉾店のさつまあげ

こしあんがほっこりの新杵の西行饅頭
 大磯は平安後期は相模国の国府が置かれ、近世は東海道の宿場町で知られる歴史的にも由緒ある町。相模灘を前にした温暖な気候から、明治18年(1885)に日本で最初の海水浴場が開かれ、“海内第一の避暑地”に選ばれた。

 山形有朋や伊藤博文、三菱・三井の財閥など多くの政財界の要人が邸宅を構え、高級住宅・別荘地のイメージが膨らんだ。とくに首相だった吉田茂の邸宅は、“大磯まいり”の言葉を生み、町名が広く知られるようになった。町の西部の本邸は7年前に焼失。隣接の旧三井家当主別邸跡地とともに大磯城山公園として整備されている。

 その町へ4月半ばふらりと降り立ち、3時間ほど駅前周辺を歩いた。駅は明治20年の開設で、大正12年の関東大震災で駅舎は崩壊した。

 駅前には数軒の飲食の店が目につく程度で、避暑地の玄関口らしい華やぎはないが、大磯海水浴場へ入口の「Oiso Beach」のゲート看板に時代の名残が感じられる。

 駅前の観光案内所で貰ったマップを手に、最初に向かったのが線路伝いを5~6分歩いた閑静な旧島崎藤村邸~静の草屋~。『破戒』や『夜明け前』など数多い名作を遺した木曾・馬籠生まれの詩人・小説家の藤村が最晩年の2年余暮らしたのが、大磯の地。「余にふさわしき閑居なり」と気に入った3部屋・平屋建ての簡素な住まいで、静子夫人に「涼しい風だね」と掛けた言葉を最期に、藤村は昭和18年8月22日にこの家で息を引き取った。

 旧東海道に出て東へ歩くと、緑の茂みの清流の沢に鴫立庵(0463・61・6926)がある。平安末期の歌僧・西行が陸奥へ下る折、「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮れ」と詠んだ所で歌碑も立つ。その西行を偲んで崇雪が草庵を結び、のちに俳人・大淀三千風が入庵した由緒から、今日も俳諧道場として続いている。

 「鴫立庵」の標石の裏にある「著蜃湘南清絶地」の文字がブランド地名の「湘南」の起源と刻む湘南発祥の地碑だ。

 さらに東へ歩いたあたりが高札場、問屋場などのある東海道線大礒宿の中心。明治11年創業の手作りのはんぺんや石臼で練り蒸した蒲鉾づくりの大磯・井上蒲鉾店(0463・61・0131)や高品質の「まかべのとうふ」で知られる真壁豆腐店、島崎藤村や吉田茂らに愛された「西行饅頭」や「虎子饅頭」でおなじみの新杵(0463・61・0461)などに寄り道しながら、石井、尾上、小島の3つの本陣跡など石碑で確認して藤村夫妻が眠る地福寺へ行った。

 藤村の人柄を偲ばせる簡素で清雅な墓碑で、毎年8月22日の命日の「藤村忌」には墓参・献花の人が多数お参りするという。

 夏はもちろん海水浴だが、四季折々にゆっくり訪ね歩きたい町である。

〈交通〉
・JR東海道本線大磯駅下車
〈問合せ〉
・大磯町観光協会☎0463・61・3300
・大磯町産業観光課☎0463・61・4100
 
銘菓通TVチャンピオンの絶品!旅の手みやげ|第6回☆きんつば

 薄くのばした小麦粉の皮で小豆あんを包み、丸型や四角にして鉄板などで焼いた「きんつば」は、小豆の風味を存分に味わう焼き菓子の1つ。刀の鍔(つば)が名の起こりというから丸型が本来だが、近年は四角形が主流になった。

 本来の姿を守るのが、高岡市戸出町の天谷菓子舗など5軒が作る「剣鍔文様付き円型きんつば」。それぞれに剣鍔の模様入りで、「けんつば」と称する店もある。

 また榮太稂總本舗の初代が日本橋で屋台で始めた「名代金鍔」や信州・飯田のいとうやの「大名きんつば」も丸い形を守っている。

 対して、今や四角いきんつばを代表するのが和菓子の町・金沢で抜群の人気の中田屋の「きんつば」と110年以上の歴史をもつ神戸・本高砂屋の「高砂きんつば」だろう。

 大納言小豆の旨みと形状をしっかり生かしきった銘菓である。

 銀座4丁目交差点至近に店を構える銀座鹿乃子に最高級の備中大納言小豆と国産大福豆・大手亡豆の紅白2種の「銀つば」がある。

 小豆あんの代わりに焼いたさつまいもを裏ごしした芋あんを使った四角い芋きんつばに東京・浅草の満願堂の「芋きん」がある。


名代きんつば
榮太樓總本舗☎03・3271・7785

梅ぼ志飴で有名な老舗の創業以来の銘果。大納言小豆を金箔のように薄く包んで銅板で焼く技に奥ゆかしい甘味が引き立つ。3個入り778円
きんつば
中田屋東山店☎076・252・1048

つややかな大納言小豆の色にうっとり。小豆の風味、旨味がふっくらほろりとやさしく上品に舌に転がる。金沢を代表する人気菓子。5個入り842円
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。