


福井の歴史を語る風雅な大名庭園の養浩館庭園

ハピリンから見下ろす福井駅西口駅前風景

ハピリン5階のセーレンプラネット (自然史博物館)

ふくい鮮いちばにある食事処田島の「海鮮丼」

ほぐしたカニの身がびっしりの駅弁「越前かにめし」

立派な伽藍の松平家菩提寺の大安禅寺

戦国の100年余の都の一乗谷朝倉氏遺跡

水豊かな堂田川に古い町並み残す越前東郷
というわけで降り立った福井駅の西口には今年4月に大規模な駅前再開発事業により観光案内所、県産品販売、グルメショップ、博物館の入った複合施設「ハピリン」がオープン。屋根付き広場もできて人の往来が絶えないという。
ご存じのように福井市は九頭竜川、足羽川、日野川が流れ、南西に小高い足羽山を望む人口約26万の県庁所在地。明治から昭和にかけて全国有数の繊維の町として繁栄、“羽二重”の名は全国に轟いた。その繁栄も昭和20年の大空襲や3年後の大地震などで壊滅。だがめざましくも復興を遂げ、不死鳥といわれた町である。
街の起こりは戦国時代、朝倉氏が治めた南東10㌔の一乗谷から柴田勝家が居城を北ノ庄に遷したことに始まる。善政を施した勝家も治世わずかで豊臣秀吉に敗れ、妻・お市の方とともに自害。1600年には徳川家康の次男・結城秀康が入城して新しく福井城を築いて68万石の城下町として大いに栄えた。
その面影は多くを失われたが、駅近くに石垣と内堀を残す藩主松平氏代々の居城の福井城址、勝家・お市の悲劇を物語る北ノ庄城址、名君の松平慶永(春嶽)らを祭る福井神社など歴史を語り継ぐものは少なくない。
中でも福井城址から徒歩5分ほどの御泉水屋敷と呼ばれた藩主別邸の養浩館庭園はその代表格で、風雅な数寄屋造りと池、木立など旧態をよく残した回遊式林泉庭園で、国指定の名勝である。開け放った座敷に坐して碧い水を湛えた園池を眺めていると、動乱の幕末に活躍した藩主・松平春嶽や、春嶽に買われて側近として才を発揮した橋本左内、藩政改革や明治政府で初代の“大蔵大臣”や「五箇条の御誓文」起草に当たった由利公正ら、幕末・明治を動かした福井藩士たちが思い浮かんだ。
彼らの足跡は足羽川にかかる幸橋を渡った先に由利公正像や左内公園などが語り伝える。公正宅跡碑の近くにはこの地に彼を訪ねて日本の将来を熱く語り合った坂本龍馬の歌碑もある。「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末」
歴史への思いが膨らんだあと、お腹を満たすのは越前ガニ、ソースカツ丼、焼き鯖寿司、越前おろしそばなど。ほかに番匠本店(0776・57・0849の駅弁「越前かにめし」も外せない。セリ見学もできる中央卸売市場の食堂・物販店のふくい鮮いちばの食事処田島(090・7085・1962)で食べた「海鮮丼」もおいしかった。
観光案内所で薦められた名所の1つが、北西郊外の杉木立に囲まれた山裾に立つ、4代藩主光通が再興した大安禅寺。立派な伽藍や本堂裏の1367枚の笏谷石板を敷き詰めた千畳敷の墓所がみごとな越前松平家の菩提寺だ。ユーモアと説得力のある名物和尚の“いきいき法話”が目的の参拝者も多いという。
郊外だが遺跡の復原進む戦国・朝倉氏の一乗谷や、堂田川の用水流れる古い町並みの東郷など福井市は1~2日で見て回れないことを始めて知った。歴史の懐が深い町である。
〈交通〉・北陸本線金沢駅から特急で約45分、北陸本線米原駅から特急で約1時間、福井駅下車
〈問合せ〉
・福井市おもてなし観光推進課☎0776・20・5346
・ウェルカムセンター(福井市観光案内所)☎0776・20・5348


戦争の悲惨さと恒久平和の象徴の原爆ドーム

手祈りの人の姿や花が絶えない原爆死没者慰霊碑

おりづるタワーの屋上展望台・ひろしまの丘

市内めぐりに欠かせない路面電車の広島電鉄

陶器箱で蒸すタレが甘めのまめたぬきの穴子飯

藤い屋は平仮名表記の「もみじまんじゅう」

朱塗りの社殿が雅やかな世界遺産の厳島神社

海の青さと映え合う朱色も鮮やかな大鳥居
訪れたのは島根県浜田市を訪ねた折、浜田・中国・広島自動車道経由なら割合近いといわれてのこと。石見銀山を見た後だから、原爆ドーム、厳島神社の3つの世界遺産を見てみようと思いをつなげて着いたのは、原爆ドームに隣接する地に9月23日にグランドオープンした広島マツダが建設・運営する地上14階・地下2階の屋上展望台がウリの「おりづるタワー」。エレベーターで屋上に着くと、板張りのスロープの三方に視界がひらけるユニークな“ひろしまの丘”があった。
ビルの林立する中心街が眼下に広がり、平和記念公園や広島城、縮景園、比治山公園などの緑がくっきり見渡せた。晴れれば宮島も見えるという。
原爆の惨禍から71年後の、めざましい復興ぶりがこんなに間近に俯瞰で実感できるとは……。見下ろす広島の町が太田川が分流した6つの川でできたデルタ地帯に拓らけた川の町であることも分かる。
数多い橋と頻繁に行き交う路面電車がコンクリートとアスファルトの味気ない都市景観にしっとり情趣を添えているように思えた。
爆心地に近い平和記念公園は元安川と本川に挟まれた三角地に造られた恒久平和の象徴の地と市民の憩いの場。焼けただれた鉄骨が惨禍を伝える原爆ドームを中心に、埴輪型の原爆死没者慰霊碑、燃え続ける平和の灯、原爆の子の像など多くのモニュメントが桜や多種の樹木や色とりどりの草花に包まれて立っている。
被爆の惨状の展示に胸が詰まる平和記念資料館や原爆死没者の名前や被爆体験記を集めた平和祈念館などには鎮魂と平和への思いが込められていた。
公園内のそこここで修学旅行や校外学習らしい小・中学生のグループがボランティアガイドの解説に熱心に耳を傾け、真剣にノートに書き込んでいる姿が心に残った。
改めて原爆犠牲者の慰霊と平和への思いを深くして、原爆ドームを見上げる元安橋下の桟橋と本川と瀬戸内海を経て厳島神社の宮島を結ぶひろしまリバークルーズの世界遺産航路(082・240・5955/片道45分/2000円)に乗った。
水上からのアングルが新鮮で、川の町、水の都を実感したあと、瀬戸内海に出て朱塗りの鮮やかな社殿や回廊が海に浮かぶように立つ厳島神社近くの桟橋に着いた。
観光客で溢れかえる満ち潮状態の社殿を巡り、昼食は広島カキかアナゴ料理かお好み焼きかと迷って、陶器の箱に盛ったご飯にアナゴをのせて箱ごと蒸し上げるまめたぬき(0829・44・2152)の「穴子飯」を賞味した。ほかほか、ふっくらの美味に満足。手みやげには迷わず、藤い屋(0829・44・2221)などで「紅葉饅頭」を買った。思いがけない流れに身を任せた、それが楽しい広島・宮島の旅だった。
〈交通〉
・山陽新幹線広島駅下車、中心街へは広電を利用
〈問合せ〉
・広島県商工労働局観光課☎082・513・3398
・広島市観光案内所(平和記念公園レストハウス)☎082・247・6738
・広島市観光案内所(広島駅南口)☎082・261・1877
・広島市観光ボランティアガイド協会☎082・247・6739
・宮島観光協会☎0829・44・2011

♪もういくつ寝るとお正月……今年も唱歌のように12月になった。連想するのが餅つきだが、昔は暮れになると農家や商店、大家族の家での餅搗きは年の瀬の風物詩。近年ではめっきり減ったが、年末年始は神棚や仏前などの供物、祝賀の紅白餅など日本人の生活と今も深く結びついている。
おやつや手みやげの餅菓子も季節ごとに各地で作られている。餅は時間が経つと固くなるので、日持ちが短いのが弱点だが、腹持ちもいいので餅菓子は健在、隆盛。とりわけ東北地方や伊勢神宮の周辺には名物餅が多い。
季節では1月の花びら餅から始まり、椿餅、鶯餅、桜餅、草餅、柏餅、ぼた餅……と続く。餡や混ぜ物によって大福餅、豆大福、あんころ餅、きな粉餅、クルミ餅などなどいろいろ。宮城・山形では青大豆をすりつぶして餅に添える「ずんだ餅」や長崎地方ではサツマイモともち米を一緒に蒸したべっ甲色の「かんころ餅」が有名だ。
三重県には細長くて薄手の「なが餅」や漉し餡をたっぷりのせた「赤福」がある。
北陸では漉し餡でくるんだ丸めた串刺し餅を「あんころ餅」という。

笹井屋(三重県津市)
☎059・351・8800
細長く平べったい形がユニーク。餅皮の中に詰めた小豆のつぶ餡が透けて見えるほど。両面を焼き上げているので香ばしく、餅の歯切れもよくておいしい。7個入り竹紙包み 648円。

明月堂(福岡市)
☎092・411・7777
ヨモギをたっぷり煉り込んだ皮で大粒の小豆のつぶ餡を包んだ草餅。ぷ~んと香りも甘さも清々しい。素朴で懐かしい味だが垢ぬけした旨さがある。菓名も風雅。5個入り 560円。