


『遠野物語』を見聞できるとおの物語の館

鍋倉城跡から見下ろす遠野市街のたたずまい

新しさの中にも城下の趣伝える遠野の家並み

元祖といわれるまつだ松林堂の銘菓「明がらす」

岩手を代表する郷土料理の「ひっつみ」(伊藤家)

郊外にある遠野の暮らしがしのべる伝承館

カッパ出没の民話を伝える常堅寺そばのかっぱ淵
盛岡から快速「はまゆり」で訪ねたのは、水田に早苗が揺れる初夏。以前2度来て抱いていたイメージに比べ思いのほか近かった。駅はモダンな洋風建物。駅前の「旅の蔵遠野」の観光案内所でマップをもらい、レンタサイクルで最初に向かったのは駅前通りまっすぐの南部氏1万2500石の居城の鍋倉城跡だ。明治維新で取り壊されて見るべきものはないが、城主を祀る南部神社や公園になった本丸跡で歴史をしのび、市街を見下ろしながらしばし足を休めた。
麓に立つ市立博物館(0198・62・2340)では町・里・山に分けた展示と映像で、八戸から移封した城主南部氏や柳田國男の『遠野物語』の知識を入れて、すぐそばの来内川沿いにあるとおの物語の館(0198・62・7887)に入った。
広い敷地には移築した柳田國男の定宿の旧高善旅館や東京の隠居所をはじめ、酒蔵を改装した昔話蔵、語り部や郷土芸能が鑑賞できる遠野座、物産販売の赤羽蔵、江戸中期・後期の住宅・蔵を改装した食事処・伊藤家など蔵造りが数棟集まる。近接の遠野南部家の武具、商家の生活道具を展示する城下町資料館にも入館したので、2時間ほどが過ぎていた。
碁盤目状の街中を巡っていると、白壁や荒壁、黒板壁、なまこ壁の商家や民家、銀行など民芸調の趣ある建物がそこここにあって、好ましい町並みになっていた。
なかで目立つのは隣接や向い合う数軒の和菓子店が掲げる「明(け)がらす」の看板。米粉に砂糖、クルミ、ゴマを混ぜてかまぼこ型にして蒸したもっちりした遠野の郷土菓子で、切り口のクルミが明け方に飛ぶカラスに見えるのが名付けという。明治元年創業のまつだ松林堂(0198・62・2236)が元祖である。
遠野のたいていの食事処にある「ひっつみ」は、小麦粉に少々塩を入れて水でこね、ねかせて一口サイズに千切って薄くのばし、具材いっぱいの鶏がらだし汁に入れて茶碗に盛って食べる郷土料理。昔話の館の伊藤家で食べたそれは,澄んで味わい深い鶏がらだし汁と、のど越しつるりのひっつみがいい味だった。
語り部の民話に耳を傾けたあと、駅の北東5~6キロにある重要文化財の曲がり家の旧菊池家住宅の見学や民話の語りも聞ける伝承館(0198・62・8655)に足をのばした。ここから畑の道をカッパ狛犬のある常堅寺と、出没したというカッパ淵まで行った。どこか昔話の中に入り込んだようなのどかな時間が流れた。
・JR釜石線遠野駅下車
〈問合せ〉
・遠野市観光協会☏0198・62・1333
・遠野市産業振興部商工観光課☏0198・62・2111


八雲本陣に使われた宍道町の木幡家住宅

神話とたたら製鉄の里を走る木次線

神話の里にちなむ神社風の出雲横田駅

技術や歴史を伝える奥出雲たたらと刀剣館

目にも口にも美味な卜蔵庭園・椿庵の料理

伝統産業にちなんだ人気の「そろばん最中」

『砂の器』の舞台を記念した湯前神社の石碑

駅長そばを兼業する名物駅舎の亀嵩駅
宍道駅から曲折を繰り返して中国山地の備後落合に至る木次(きすき)線は、普通列車のみ運行の全長81.9㎞のローカル線。トンネルを避け、地元の思惑に引っ張られ、進路を左右に変えながら木次、出雲三成、出雲横田、三井野原へと延びている。
車窓に流れる田畑や山々、赤い石州瓦の集落など穏やかな風景に気分もゆったり。途中の木次は線路名に使われるように、紙、木綿、牛馬の取引などで栄えた市場町で、古くから交通の要衝として賑わった。今も雲南地方の中心である。
列車は日登駅、下久野駅のきつい勾配を時速20~30㎞であえぎつつ上り、長いトンネルを抜けてやがて神話とたたらの里の奥出雲町に入って行く。その主な玄関口がモダンな出雲三成駅と間に亀嵩駅をはさんだ神社風の出雲横田駅だ。
この辺りは高天原から追放されたスサノオが降り立ったといわれる地で、ヤマタノオロチを退治して結婚した稲田姫(クシナダヒメ)の誕生地と伝える。姫の産湯の池や姫を祀る縁結び、子宝、安産祈願の稲田神社もあるという。
8世紀の『出雲国風土記』に書かれたように、一帯は砂鉄から生み出す古代のたたら製鉄の里で知られる。それを伝えるのが、オロチのオブジェが目を引く奥出雲たたらと刀剣館(0854・52・2770)や、貴重な歴史資料や豪壮な屋敷に往時の隆盛ぶりをしのばせる、松江藩鉄師頭取を務めた絲原記念館(0854・52・0151)や桜井家・可部屋集成館(0854・56・0800)である。非公開だが日本刀づくりに欠かせない玉鋼(たまはがね)を生産する全国唯一たたら製鉄を続ける日刀保たたらも外から眺めた。
奥出雲に古代の製鉄が起こったのは一帯の山を切り崩すと上質な砂鉄が採取されたから。のちに洋鉄の普及でたたら製鉄の炎は消えるが、その鉱山跡地は無惨な禿山にならず、広々とした棚田に生まれ変わり、ミネラルを含んだ土壌がコシヒカリの魚沼米に並ぶに西のブランド米の仁多米を生み出している。
この辺りは松本清張の『砂の器』の舞台でおなじみで、映画のロケ地になった場所探しのファンが今も少なくないそうだ。出雲弁が犯人逮捕のカギになった亀嵩駅や近くの湯前神社にある「小説砂の器舞台の地」の記念碑ににも立ち寄った。
この先、標高565mの出雲坂根駅から高原野菜で知られる三井野原駅へ急勾配を克服する三段式スイッチバックでゆっくり上って行った。
・JR木次線木次駅、出雲三成駅、出雲横田駅など下車
〈問合せ〉
・雲南広域連合☏0854・47・7341
・雲南市観光振興課☏0854・40・1054
・奥出雲町地域振興課☏0854・54・2524