風土47
今月の旅・見出し
 
 
奈良県■修験道の聖地と南朝の哀史を刻む花の吉野山


吉水神社の桜越しに望む金峯山寺(蔵王堂)

商店街から眺める花の盛りの中千本

中千本で食べた喉越しつるりの葛入りうどん

歴史のドラマの舞台となった吉水神社

人の往来の多い中千本の本通り

醍予の「柿の葉寿司」と萬盛堂の「草餅」
 花盛りの季節にと願いながら、混雑をためらって行っていなかった吉野山に、ようやく昨年4月14日に訪れた。近鉄線吉野駅に降り立つと案の定、乗降客であふれ、山上へのバスやロープウェイの乗り場にも行列ができていた。

 中千本までバスに乗り、柿の葉寿司や吉野葛、団子、うどんなどの店が連なる尾根道を歩く。人波を抜け、家並みの間の小道に入って見渡すと、中千本は杉木立の緑を残して薄紅の桜が斜面を埋めるまさに花の盛りだった。

 今も女人禁制を続ける大峰山に連なる吉野山は、標高400~600mの馬の背のように長く尾根を連ねる山で、役行者が開創した金峯山寺(蔵王堂)を中心にした修験道の聖地である。本堂の蔵王堂は東大寺大仏殿に次ぐ大きな木造建築で、本尊は桜の木に刻んだ蔵王権現。それゆえ桜が御神木とされ、献木や寄進で3万~5万本を数える桜の名所になった。

 この寺の僧坊である吉水院(現・吉水神社)は、兄頼朝に追われた義経が愛妾静御前と潜居したり、後醍醐天皇が南朝を開いて一時、行在所とした歴史ゆかりの場所。得意絶頂の豊臣秀吉が諸国大名5000人を招いた花見の宴は天下に知られた。それらゆかりの部屋や宝物、古文書などの展示に歴史の一コマが浮かび上がった。

 吉野の桜は花と葉が同時に出るシロヤマザクラ。散り際の潔さでも知られるが、平安末期の歌人・西行はこよなく愛し、奥千本の庵で3年過ごし、60種の桜の歌を詠んだ。彼に憧れる松尾芭蕉も500年後に2度もはるばる吉野に杖を引いている。

 国学者・本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」の歌が吉野の桜をいっそう世に広めた。

 山上の柿の葉寿司の店を20余年前の取材の折、女将に「いい嫁なの」と紹介された女性を思い出して入ってみると、顔を見せたのはその人で、立派な女将になっていた。「年年歳歳花相似たり,歳歳年年人同じからず」というが、清々しい笑顔と人柄に変わらないものがあってうれしかった。

 茶屋では「葛入りうどん」を食べ、「柿の葉寿司」を買った。花の名所なのに“花より団子”の堂々たる張り紙に苦笑しながら草餅や花見だんごを立ち食いした。花もよし、食べ物もよしの、花も実もある吉野山であった。

〈交通〉
・大阪・阿部野橋から吉野まで近鉄特急で1時間15分
〈問合せ〉
・吉野山観光協会☏0746・32・1007
埼玉県■大名や芭蕉が通った宿場と煎餅の町・草加


草加駅前にある煎餅を焼く「おせんさんの像」

古い面影を残す旧日光街道のたたずまい

元祖といわれる豊納源兵衛の「源兵衛せんべい」

古い町家を改装、観光情報、休憩所の神明庵

札場河岸公園の見返り姿の松尾芭蕉翁銅像

おくのほそ道風景地に認定された草加松原
 埼玉県南東部の草加は江戸時代に日光街道の宿駅として開かれた町である。本陣跡など参勤交代や日光詣での古い史跡や名物の草加せんべいの店が点在。元禄時代、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で千住の次に立ち寄った足跡も残っている。

 そうした歴史に関心がありながらゆっくり訪ねたことはなかったので、先日、思い立って出かけてきた。玄関口の東武線草加駅前はビルが並ぶ人口24万余の都会の顔を見せ、駅前広場には煎餅を焼く「おせんさん」と煎餅を食べる女の子「アコちゃん」の像に煎餅の町を改めて印象づけられた。

 東へ3分ほど歩くと行き当たる旧日光街道は江戸開幕後、東側を迂回していた道を千住・越谷間を一直線に結んだ新道で、千住・越谷の間の宿として草加宿が設けられたのは20数年後。伊達藩、会津藩、米沢藩らの殿様や身分の高い人の休泊所だった大川本陣や清水本陣があったことを記す石碑が目に止まった。

 沿道には八幡神社、氷川神社、神明宮の古社や蔵をもつ藤城家、観光案内・無料休憩所の草加宿神明庵など古い町家も点在する。神明庵は大津屋を屋号にする古民家の久野家を観光案内やギャラリー、無料休憩所に改装。地元のボランティアのご婦人たちが詰めていて気さくに応対してくれた。

 旧街道を歩いていると草加煎餅の店を5~6軒見かけた。元祖の源兵衛で聞くと、最盛期には200軒ほどあったそうだが、現在は60軒ほどに減ったという。

 草加煎餅の始まりは江戸時代、「おせん」という女性が開いていた茶屋の団子が評判だったが、売れ残りを捨てていた。それを見た武士からもったいないから平たくして焼き餅にしたら長く売れるのではないかと勧められ、これが人気を呼んだという。おせん茶屋公園やおせん公園の名称や駅前の像がそれを物語っている。「おせんさんの煎餅」から「おせんべい」と呼ばれるようになったという説もある。

 草加煎餅はうるち米を粉に、押し焼して堅く、香ばしい醤油味が特徴である。

 “草加せんべい発祥の地碑”の向かいに右手を上げた銅像の河合曾良は奥の細道の旅に随行した芭蕉の門人。信号を渡ると綾瀬川の川沿いに五角形の黒い望楼がシンボルの札場河岸公園があった。

 深川からの舟を千住で降りた芭蕉は「漸く早加と云う宿にたどり着いた」と書いている。千住方面を振り返るような旅姿の芭蕉翁像が立っていた。

 ここから先が600本を超える松並木。おくのほそ道に関連する10県13件の風景地の1つで“草加松原”の名称で2年前に国指定名勝に選定された。川べりに沿う松並木の道に立って、この先600里(2400㎞)、150日間の歩きを続けた遥かなる芭蕉と曾良の旅を想った。

〈交通〉
・東武鉄道スカイツリーライン草加駅下車
〈問合せ〉
・草加市観光協会(市文化観光課内)☏048・922・0151
・草加宿神明庵☏048・948・6882
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。