


小高い岡にそびえる復元の上山城天守閣

かかしのオブジェのあるかみのやま温泉駅

町なかに旅館が5軒集まる温泉街の新湯通り

早朝から入れるので人気の下大湯共同浴場

黒あんと白あんがおいしい中條屋の中條饅頭

葵御紋付きの十五屋本店の「三万石もなか」

沢庵禅師が流されて3年ほど過ごした春雨庵
城の西側の坂道には200年の風雪に耐えた4軒の茅葺きの武家屋敷や、江戸初期、この地に流された沢庵禅師が3年過ごした建物の春雨庵などが歴史をしのばせる。漬物のたくあんを考案したことで名高い僧侶の不遇の時期だ。
上山のもう一つの顔が、駅名に「かみのやま温泉」と名乗る通り、いで湯の町。550年ほど昔、諸国を行脚中の修行僧が、小池で足を癒す鶴の姿を見て湯を発見したという。“鶴脛(つるはぎ)の湯”とも呼ばれ、奥羽三楽郷に数えられた。肌に優しいカルシウム・ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉の熱い湯で知られている。
中心街に湯町、新湯、十日町や郊外に河崎、葉山の5つの温泉地区があり、共同浴場は5軒、旅館は20数軒、足湯は5カ所を数える。駅から4~5分歩いた道路沿いの前川橋ポケットパークの足湯でひと休みした。
石垣の上にそびえる上山城に昇って市街や蔵王連峰など胸のすくような広い展望を堪能した。その足で坂道沿いの武家屋敷や広やかな春雨庵などをぶらついた。
江戸時代の初め、城主が庶民に初めて開放したという共同浴場の「下大湯」に浸かった。天井が高く、大きめな湯船にあふれる熱い湯はじわりと肌にしみる。たくさんの人々が昼なのに悠々と湯の中でくつろいでいた。
聞けば、共同浴場は6時(冬期6時半)から営業で、料金は150円。自宅で風呂など沸かす気になれない安さと営業時間だ。
名物は「板そば」や南郊の楢下宿の「こんにゃく料理」やラ・フランスなどの果物。土産に人気の中條屋の「中條饅頭」は、薄めの皮にきめ細かで上品な甘さの餡がしっとりと和み合うおいしい饅頭である。皮と餡が溶け合う「三万石もなか」も舌にしっとりのやさしい甘味である。
・山形新幹線・奥羽本線かみのやま温泉駅下車
〈問合せ〉
・上山市観光課☏023・672・1111
・上山市観光案内所☏023・672・5703


真田の城下町を雄弁に語る真田幸村像

真田のロマンを語り継ぐ上田城東虎口櫓門

道沿いに霧隠才蔵ら十勇士のパネルが点在

上田名物の「信州そば」の店は多数ある

土産は昔からの飯島商店の「みすゞ飴」

「真田太平記」に関する資料が豊富

蔵造り、格子造りの家並みが趣ある柳町
まずは最初に出会ったのが、上田駅お城口の広場の勇壮な真田幸村(信繁)の騎馬像と六連銭ののぼり。幸村は昌幸の次男で、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、父とともに家康軍と戦い、大坂城での冬・夏の陣でも敵方で徹底抗戦した人物だが、真田氏が上田の城主であった時代はわずか39年。のちの仙谷氏の83年、松平氏の160年に比べてはるかに短いのに、「真田の城下町」と名乗り、町のあちらこちらに家紋の「六文銭」のマークが掲げられている。
駅前の坂道を上がって松尾町で左に曲がると、ほどなく上田藩主居館跡(現県立上田高校)の看板がある。引き続き、市役所に、沿って左に進むと上田城跡公園に行き当たる。
天正11年(1583)、真田昌幸が河岸段丘の尼ヶ淵に築いた平城だが、今残る城郭は仙石氏の時代のもので、3つの櫓、1つの櫓門が移築や復元。それでも石垣や土塁、井戸などが、天下を目前にした大群の徳川軍を2度にわたってきりきり舞いさせて撃退した歴史を語り継ぐ。今なお痛快な戦国ロマンとして魅了される。
明治後期、立川文庫に書かれた霧隠才蔵、猿飛佐助、根津甚八ら「真田十勇士」の活躍と町中に置かれたパネルがいっそうロマンを膨らませる。
こちらは史実としてよく知られた話だが、天下分け目の関ヶ原の合戦で、父・昌幸と次男・幸村は石田三成の西軍、長男・信之は徳川家康の東軍に分かれて参戦。西軍が敗れたが、信之は生き残り、真田一族は後世に続いた。これらのヒストリーは、池波正太郎真田太平記館で語られている。
城郭の北をかすめて東西に抜ける北国街道の柳町では江戸から明治にかけて栄えた情趣ある宿場の町並みに足が止められる。造り酒屋や味噌醸造などの白壁土蔵や格子造りや袖壁の商家などがしっとり連なる。食事処や甘味、カフェがあってそぞろ歩きが楽しめた。
上田では何といっても「信州そば」や飯島商店の「みすゞ飴」が名物である。
・北陸新幹線・しなの鉄道上田駅下車
〈問合せ〉
・上田市商工観光部観光課☏0268・23・5408