風土47
旅空子の「味」な旅・見出し
 
長野県■カラマツ林に漂う歴史と文学の爽涼な香り


避暑地発祥を伝えるショー記念礼拝堂

宿場時代から賑わいの中心の旧軽銀座

旧軽のシンボルの聖パウロカトリック教会

白壁と木骨のデザインが典雅な万平ホテル

カラマツ並木が美しい三笠通り

粋なホテルでカフェタイム(音羽ノ森)

土産に人気の軽井沢タルト(白樺堂)
 軽井沢は長野県北東部、浅間山の南麓の標高1000~1200mあたりにひらけた高原リゾート。盆明けの8月下旬、久しぶりに訪ねてみると、人気の観光地もコロナ禍でさすがに人がまばらだった。

 江戸時代の軽井沢は難所の碓氷峠を控えてにぎわった中山道の宿場町だが、明治になって国道や鉄道が離れた所に開業したことから、みるみる寂れた。

 宿場が元気をなくした頃の明治19年、新潟での布教の帰途にたまたま立ち寄った宣教師のA.C.ショーが、この地を大いに気に入り、民家を借りて一夏を過ごし、2年後に別荘を建てる。

 ショーが“屋根のない病院”と称賛したことから、日本の夏の蒸し暑さに閉口していた仲間や在留外国人が多数押し寄せ、明治後期には1000人を超える外国人が夏を過ごしたという。

 その場所は旧軽井沢銀座外れの宿場の名残のつるや旅館に隣合う軽井沢ショー記念礼拝堂のあたり。爽やかな木々に包まれて「避暑地・軽井沢発祥の地」の看板がそれを伝えている。

 外国人の居住に欠かせない大きなものに教会があるが、そのシンボル的存在が旧軽銀座の裏手の丸太の三角屋根が目に付く聖パウロカトリック教会。アメリカの世界的な建築家の設計で85年前に建てられたもので、軽井沢の風景に溶け込んで、シンボル的存在になっている。

 軽井沢には教会をはじめ早くから欧米文化が伝わった。建築の分野では明治27年に開業の亀屋ホテル(万平ホテル)が軽井沢初の洋風建築として登場する。

 クラシックな建物とエレガントな雰囲気は、軽井沢の迎賓館として今も不変の人気を保っている。せめてカフェでもと立ち寄る人が少なくない。

 明治38年には“軽井沢の鹿鳴館”と呼ばれる典雅な純西洋式の三笠ホテルが日本人の手で建造される。旧三笠ホテルの名で重要文化財として保存展示されているが、令和6年まで長い修復工事のため見られない。

 これらの建物をはじめ旧軽井沢の別荘地はどこもカラマツやモミの木の林や並木に囲まれている。巡っていると清涼な風や澄明な大気、すがすがしい香り包まれて癒される。

 ホテルに入る前にレンタサイクルでモミの並木の道をたどって寄ったのは、細長く青く澄んだ水をたたえる雲場池。秋の色はまだだが、湖畔のレストランで、カラマツの黄葉やモミジの赤など10月半ばは絶景を極めると教えられた。

 初秋の軽井沢、今年はいっそう静謐で、いちだんと美しいかもしれない。

〈交通〉
・JR北陸新幹線軽井沢駅下車
〈問合せ〉
・軽井沢観光協会☏0267・41・3850
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。近著に「日本百銘菓」(NHK出版新書)