風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
~ふと出会う、語り継がれる愛すべき偉人たちの像~(2014年3月1日)

 弥生となりました。ほんの少し春の足音が聞こえてきましたね。先月は関東で2度の大雪に驚き、ソチオリンピックに湧きました。個人的には先月、このコラムでも紹介しました私のコレクションを展示した「京の絵馬展」が無事に終了。ご来場の皆様、ありがとうございました。

 さて3月、お雛様でスタートですね。「お雛様と京都」を紹介するのは、このコラムらしくないので、そこから連想して人の形??おお!そうだ!一度集結してみたかった!!京都のあちこちに建つ、愛すべき「銅像」たち。今回は、銅像を訪ね歩く京都。皆様は何人?ご存じかな?京都通の方は「そうそう、あそこに、あるある!」ですよね。(今回は野外にあるものに絞ります)

まずは、誰が決めたか知らぬが「京都3大銅像」とは?

円山公園の坂本龍馬と中岡慎太郎の像
 枝垂れサクラの名所の一つとして、よく知られる円山公園。1886年(明治19)に開設した京都市最古の公園です。八坂神社の東側、広さ86600㎡。その公園内に遠く空を見上げ二人並ぶ銅像。写真でお分かりの通り幕末の英雄「坂本龍馬と中岡慎太郎」です。坂本龍馬像は高知県桂浜に建つものが最も有名でしょうが、中岡さんと一緒に…というのが素敵!と個人的には思っています。1934年(昭和9)に建ち、第2次世界大戦中に供出され、1962年(昭和37)の再建です。私が撮影したこの日も、若い龍馬ファンが来ていました。不動の人気、知名度の高さ、文句なしの坂本龍馬像がまず「京都3大銅像」の一つらしいです。

京阪三条交差点の高山彦九郎像
 2つめは、正座をし、どこか遠くをじっと見つめる、この男。「誰?」という声が聞こえてきそうですが…。この像は、京阪電車と市営地下鉄が交差する三条京阪の交差点南東にあります。三条通りは交通の要所でもあるので、車やバスの車中から、この像を見かけた方も多いのではないでしょうか?この人物は江戸後期に全国を奔走した上州出身(現:群馬県太田市)の勤王思想家「高山彦九郎」。若者たちは「土下座前集合!」などと待ち合わせスポットにしているようですが、これは「土下座」ではない!!御所に向かって拝礼しているお姿なのであります。1928年(昭和3)に初代が建てられ、現在の像は2代目。台座の書は東郷平八郎とのこと。御所に向かって拝礼している姿は、いかにも歴史の1ページを物語っている素晴らしい銅像だと思いますが、なにせ知名度が低い…私も彦九郎さんに対しては、勉強不足なので、一度太田市にある「高山彦九郎記念館」に行きたいと思っています。…知名度はさておき、3大銅像の一つ。

嵐山(亀山)公園に建つ角倉了以像
 そして、もう一つは、当コラムの連載、昨年6月に紹介した「角倉了以」です。風光明媚な観光地・嵐山にある嵐山(亀山)公園内の高台にこの像は建っています。右手に鍬を持っていることから察するように、ここを流れる大堰川の開削などの土木工事を行い京都の近代発展に大きく貢献。朱印船貿易で富を得た、安土桃山~江戸初期にかけ活躍した人物。初代の像は大正元年に、その後、世界大戦で供出され、現在の像は1988年(昭和63)に再建されたもの。京都では超有名人の一人で、私は「歴史上の人物で、もし会えるとしたら誰がいい?」と聞かれたら筆頭に浮かぶ人物の一人。激動の時代を駆け抜けた人物ですから当時のエピソードやリーダーシップ、社会貢献、経済・経営方針などのお考えを伺いながら、了以さんに嵐山・吉兆でご馳走になりたいです。この場合、了以さんが現代にタイムスリップしてもらうことになりますが、了以さんに今の嵐山をご覧いただき、ご感想も聞きたいですね…
 以上の偉人・3名が「京都三大銅像」となって京都の街を見守っておられます。
どんどん紹介しましょう、京都を見守る沢山の銅像たち

嵐山(亀山)公園の村岡局像
 先ほどの「角倉了以」像のある嵐山(亀山)公園には、もう一つ像があります。女性です。安政の大獄で投獄されたこともある幕末の勤王家「村岡局」(津崎矩子)です。凛とした表情、和装姿で座る老女の像。晩年は北嵯峨にある直指庵で過ごし、地元の子女の教育にあたりました。直指庵には村岡局のお墓もあります。銅像は1928年(昭和3)建立。

護王神社の和気清麻呂像
 京都御苑の西、狛猪が出迎えてくれる護王神社の境内には御祭神の「和気清麻呂」像が御所を向いて建っています。和気清麻呂は奈良時代の貴族。宇佐八幡宮への道中、足を怪我した清麻呂を300頭ものイノシシが現れ、難を救った伝説があります。和気清麻呂の銅像は東京・大手町にもありますが、護王神社の像は“和気清麿公1200年祭に当たる1998年(平成10)に建立された比較的新しい像です。

京都ホテルオークラ脇の桂小五郎像
 京都でイケメンの像と言えば、京都ホテルオークラの北西角に建つ「桂小五郎」像ではないでしょうか?座っていますが、体格も良くて、素敵です。ご存じ桂小五郎は長州藩士、尊皇攘夷派の中心人物。幕末から明治維新まで活躍し、芸者・幾松とのロマンスも有名ですね。京都ホテルオークラの敷地に像が建つのは、ここが長州藩の京都屋敷跡だったからです。この辺りは江戸時代、各藩の屋敷が隣接しており散策すると「〇○藩屋敷跡」という石碑をよく見かけます。銅像は1995年(平成7)に建ち、行き交う人々を見つめています。

八大神社の宮本武蔵像
 史実の裏付けや小説との混同はさておき、宮本武蔵ゆかりの神社として知られる八大神社は修学院離宮や詩仙堂のある一乗寺という界隈にあります。八大神社の鳥居を潜って本殿へ向かう参道脇には映画「宮本武蔵」のポスターや写真が展示されています。本殿向かって左手に一乗寺下り松の大木の一部が保管され、その前に若かりし勇敢な姿の「宮本武蔵」像。この像は2003年(平成15)に神社御鎮座710年と武蔵の一乗寺下り松の決闘から400年という節目に記念して造られた銅像です。剣を持って、立ち向かう勇者。時代劇好きの私は役所広司さんが大河ドラマで演じた「宮本武蔵」が印象深く、それ以来、役所さんのファンです。
芸術・芸能分野で活躍した人々の銅像

南座前・四条大橋の出雲阿国像
 四条大橋の北東、向かい側の南座を向いて建つ「出雲阿国」像は1994年(平成6年)に誕生しました。出雲阿国は1603年に北野の杜で初めて「傾いた」とされ、北野天満宮辺りが歌舞伎発祥の地。その後、鴨川の河原などで興行し、男装で踊る姿が話題となり、大いに賑わったとされています。現在、歌舞伎が行われる南座の側に銅像が建つのは、相応しいですね。像は2m、右手に扇子、左手には刀、腰には瓢箪をぶら下げています。昨年5月には出雲市にも、同様の姿をした銅像が造られ、話題になりました。

本法寺の「長谷川等伯」像
 私も大好きな絵師・長谷川等伯は安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍しました。能登・七尾の出身で33歳頃に妻子を連れて京都へ。当時、狩野派が全盛を極めていた時代に絵師としての地位獲得に一人、挑んだ等伯。京都では本法寺(塔頭の教行院)に寄宿したと言われています。代表作は国宝「松林図」です。毎年3月半ば~4月半ばの一か月間、長谷川等伯の描いた涅槃図(重文)が本法寺で特別公開されます。(2014年は3月14日~4月15日)縦10m横6mの作品です。涅槃図はお釈迦様の入滅(お亡くなりになる)のお姿を現したもの。長谷川等伯の涅槃図には珍しくコリー犬が描かれています。探してくださいね。その本法寺境内には能登・七尾駅前に建つ長谷川等伯像と同じようなスタイルで笠をかぶり、天を見上げる「長谷川等伯」像があります。いつも本法寺へ行くと、この像の側に私も立って、「等伯さん、何を見ているのかなぁ?」と同じ角度で空を見上げます。何だか切なくもあり、清々しくもあり、等伯の人生に思いを重ねてしまうからかな…と。京都で私が一番好きな銅像です。

 さて今回は9人の銅像を紹介いたしました。まだ京都の街に鎮座する人物が数名おられますので、またの機会に第2弾を是非。

プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京生まれ、國學院大學卒業後、スポーツ新聞社を経て京都市へ転居。東京に戻り京都市の「京都館」勤務、2012年春退職。現在、首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザーとして活動中。BS朝日「京都1200年の旅」、「京都検定」講師。京都観光文化検定1級取得。