風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
祝・NHK大河ドラマ「花燃ゆ」放送直前! 京都の長州ゆかりを巡る(2014年11月1日)
 

萩市中央公園内に建つ「山県有朋像」
 「郷土愛」というものは、その土地の小中学校がどれだけ郷土史、郷土のヒーローに力を入れているか?であるのかもしれないな…と実感したことがあります。

 京都観光する時に他府県の友人と京都で落ち合うことが時々あります。その時に「どこへ行きたい?」と聞くと、大抵は「お薦めでいいよ」とか世界遺産の社寺名が挙がります。でも、山口出身の友人だけは違いました。「長州藩ゆかりの場所に行きたい」とハッキリ主張。何度も京都を訪問している京都通でもなく…もっと今の季節なら美しい場所もあるにも関わらず…です。でも、私は嬉しかったので、他を提案せず、一日案内しました。

 都だった京都は度々歴史の大舞台となりましたが、歴史を作ったのは、京都人だけではないのですから、そういうテーマ散策は悪くありません。むしろ良いです。ふるさとの先人たちの足跡を、きちんと「見たい」という友人の主張に「郷土愛」を感じました。そして行く先々で、先人たちをとても尊敬している言動が見られ、友人を通じて「ふるさとの誇り」さえ感じ、胸打たれました。最終的には私の郷土愛の希薄さに反省するばかり…でした。

 …ということで今回は、その友人と巡った京都の「長州」ゆかりの場所を、散策風に紹介、最後に登場した人物を通して山口県萩市もご紹介します。

長州藩が戦い散った「蛤御門の変」から150年経過

京都御苑にある「蛤御門」
 京都駅から地下鉄で4駅、今出川駅を降りると京都御苑が見えます。その西側に蛤御門があります。

 歴史で習う「禁門の変」別名「蛤御門の変」の舞台となった場所。現在、蛤御門は烏丸通という大通りに面して建っていますが、当時は、もう少し東の御苑の中にあり、南向きだったそうです。ここで1864年7月、御所を守る薩摩・会津の幕府軍と長州藩は戦い、そして大敗します。

 蛤御門には、当時の弾痕が今も残っています。蛤御門から1・5キロほど北にある上善寺には、この「蛤御門の変」で戦死した首塚(7名の墓)があります。今年は150年目の節目ということで、山口県からの神職らによって供養祭が同寺で営まれたとのこと。


長州藩邸跡には「ホテルオークラ京都」が建つ

ホテルの敷地に建つ「長州藩邸跡」碑

ホテルの敷地に建つ「桂小五郎」像
 その「蛤御門」から再び今出川駅へ戻り、地下鉄を乗り継いで京都市役所前駅で下車します。駅直結の京都ホテルオークラ。

 ここが、まさに長州藩邸のあった場所。地上に出るとホテルの敷地内に「長州屋敷(長州藩邸)跡碑」と「桂小五郎像」を見つけることができます。

 先ほどの「蛤御門の変」の戦いの大敗により長州藩の留守居役が藩邸に火を放ったと言われています。その火が(他にも火元はありますが)南へと延焼、京都の市街地の半分を焼く、大火災となりました。それが「どんどん焼け」と呼ばれています。そんな歴史ある場所も今では歴女が「桂小五郎」像の前で記念撮影。市内でも一番?!イケメン像ゆえ、人気スポットにもなっています。

 ホテルオークラから北へ行くと木戸孝允邸(桂小五郎)がありますが、残念ながら通常公開していません。特別公開のあるときに是非。

 さてお昼は近くの料亭「幾松」で。幾松は三本木の芸妓の名から、桂小五郎とのロマンスで知られ後に結婚し、木戸松子となります。ここは二人の思い出の詰まった木屋町寓居跡。歴史的建造物としても2棟が登録有形文化財に指定されています。ランチならミニ会席や御弁当が頂けますが予約が望ましいです。

明治から大正に活躍した山県有朋の別荘へ

山県有朋の別邸・名勝指定の「無鄰菴」

京都府立図書館前に建つ「吉田松陰拝闕詩碑」
 「幾松」でお腹も満たさせ、京都市役所前駅からまた地下鉄に乗り蹴上駅へ。蹴上駅から徒歩で山県有朋の別邸「無鄰菴」を目指します。ここは現在、京都市施設、国の名勝指定となっています。

 庭は山県の意見を取り入れながら、“植治”こと7代目小川治兵衛が作庭した池泉回遊式庭園です。四季折々の美しさ、どの季節でも素晴らしい庭園美が見られます。敷地内には母屋と茶室、洋館も。洋館は1903年、日露開戦直前に国の方針を決める会議が行われた場所でもあり、当時の面影を残しています。この会議には伊藤博文も同席していました。入場は410円。

 無鄰菴から徒歩で近くの京都府立図書館へ向かいます。図書館の前庭の傍らには吉田松陰が1853年に京都御所を拝した時に作った詩が刻まれた記念碑が建っています。
松陰の50回忌に京都府教育会が建立、「吉田松陰拝闕詩碑」「山河襟帯の誌」と呼ばれています。あまり知られていませんが…。

長州藩ゆかりの甘味!?で幕末を偲び一服

毛利家の家紋に見立てた「長州おはぎ」

伏見にある「伏見長州藩邸跡」碑
 さてお次は市バスに乗って祇園へ。八坂神社西門前近くにある「京ぽんと祗園菓舎」でちょっと一服。実はこの店で今年9月、幕末に京都で大流行した「長州おはぎ」が復活。大流行した時期は「蛤御門の変」の直後だったようです。「長州おはぎ」は3つのおはぎを三角に置いて、その上に横一文字に箸を添え、毛利家の家紋に見立てているもの。

 お約束のやり取りが交わされ、客が「負けてくれ(値段をねぎる意味で)」と言うと、店側は「(一戦も)負けられへん(一銭も値引きできない)」と答える、その記録が文献に残っているとのこと。京都の人々が長州びいきだった一コマなのかもしれません。ちなみに値段も毛利家の石高36万石に因んで当時36文だったそうで、復活した現代では持ち帰りは360円、店内ではお茶と萩焼の皿付で1000円。お約束のやりとりも行えて、ちょっと楽しいので是非。

 一服後は「祇園四条駅」から京阪電鉄で伏見へ向かいます。寺田屋や酒蔵で知られている伏見エリアは伏見桃山駅または中書島駅で下車。伏見にも「伏見長州藩屋敷跡」があります。

 伏見は港町であり、竹田街道に面している屋敷は交通の要の位置にあったことが垣間見えます。また縁の場所としては「蛤御門の変」に際し、長州藩が宿所と本陣を置いたのが嵐山・天龍寺。それゆえ嵐山に向かうコースもいいのでは。

 …という訳で、1日観光で「長州藩ゆかり」を回るとしたら、このようなコースでしょう。まだ、紹介しきれない場所もありますが…

京都ゆかりの人物たちの地元・萩の観光スポット

山県有朋誕生地

木戸孝允旧宅
 一方、山口県。私は高校の修学旅行が「萩・津和野・広島」でした。萩の城下町をグループ散策した遠い記憶が…あのころは歴史の経緯や人物も曖昧でしたので、もったいない見学の仕方をしたであろうと思われます。今、大人の修学旅行として再訪したい街の一つです。

 さて、今回紹介した京都にもゆかりが深い長州ゆかりの人々。まずは明治政府の中心的人物・山県有朋。政治家、軍人としての活躍以前のことは、やはり、ふるさとに。槍術に長けていたとのこと。吉田松陰の松下村塾門下生、実際、塾で学んだ期間は短かったようですが、門下生であることを生涯誇りにしていたようです。そして軍人としての才は高杉晋作の奇兵隊に入隊し、活躍したことにも垣間見れます。誕生地に碑、萩市中央公園内には銅像があります。

 そして、京都の別邸で危篤の木戸孝允を明治天皇は直々にお見舞いに訪れています。それほど明治天皇の信頼が厚かった木戸孝允。藩医の長男として生まれ、後に桂家の養子となり「桂小五郎」の名に。産まれてから江戸へ出るまでの20年間過ごした家が萩市に残っています。見学100円。

 いよいよ、年明け1月4日から吉田松陰の妹「文」が主役の「花燃ゆ」が始まります。萩市も盛り上がることでしょう。大河ドラマに合わせて、平成27年1月11日~平成28年1月10日までの約1年間、萩市にある旧明倫小学校体育館では「文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館」が開館します。実際に撮影で使用された小道具や衣裳の展示、メイキング映像の上映など、ドラマを盛り立てる展示内容となっています。入場一般当日券500円。是非、萩観光の際には、歴史スポットと合わせてお出掛けください。

 詳しくは http://www.city.hagi.lg.jp/fumi-hagi/

■写真協力:萩市観光協会
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京生まれ、國學院大學卒業後、スポーツ新聞社を経て京都市へ転居。東京に戻り京都市の「京都館」勤務、2012年春退職。現在、首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザーとして活動中。BS朝日「京都1200年の旅」、「京都検定」講師。京都観光文化検定1級取得。「京都観光おもてなし大使」