

池波正太郎先生は京都にもよくお見えになり、主に食のエッセイで沢山、京都のお店や宿を紹介されています。それも紹介したいのですが、今回は先生がお書きになられた代表作の一つ、時代小説「真田太平記」にヒントを得て、「真田幸村のゆかり」を、ご紹介したいと思います。


沢山の観光客が訪れる龍安寺の石庭は枯山水庭園

石庭が表庭、その建物の裏には有名な銭形のつくばいがある

池を中心にグルリ1周できる龍安寺の回遊式庭園。四季折々の美しい景色に出会える。

樹が茂っていて見にくいが池に突き出している島がある、そこに真田幸村の墓(五輪塔)があるらしい(非公開)
靴を履いて、石段を下がり、もと来た道を戻り、出口へ。見ていると半分以上の拝観者が、目の前の池をグルリと一周せず、龍安寺を後にします。度々遭遇するのは、ガイドさん自身が「龍安寺は石庭だけだから、他に見る物はないので、これで駐車場に戻りましょう」と案内していることが、私は無念で仕方がありません。「おい、お~い、待て待て(と心の中で泣き叫ぶ私)」「時間がないので行きましょう」なら100歩譲って仕方がない、そんな行程を組んだが悪い、と諦めますが、「石庭だけ?見る物はない?」そんな紹介はいかがなものか?と思います。龍安寺の良さは、あの限られた空間にある枯山水の庭、それに対比するように堂々と緑豊かに存在する回遊式庭園、その総合的な美の物語にあるのです。目の前に広がる庭園の手入れの良さ、季節の美しさを鑑賞してこそ、さっき見た枯山水の素晴らしさが、より一層、心に沁みてくるというもの。あの庭園の池の名は「鏡容池(きょうようち)」と言い、四季折々の景色に出会える素晴らしい名庭です。
つい、熱くなり庭の話が長くなりましたが本題に。途中、弁財天が祀られている辨天島(ここは橋を渡れてお参り可)、そして、その弁天島の西に突き出した島。ここにある五輪塔こそが、真田幸村の墓(非公開)と言われています。非公開なので、五輪塔であるようだ、としか言えませんが…
「真田幸村の墓」が龍安寺にある、もしガイドさんが池を1周し、それを説明したら、恐らく「どうして龍安寺に?」と聞かれるはず。いよいよガイドさんの出番ですよね。
私は旅の醍醐味の一つは遭遇する「?」を「!」を変えられる発見や感動がどれだけあるか…だと思っています。自分で見聞して知るもよし、そして地元の人やガイドさんから教わるのもよし、…であるわけで「!」が、旅の楽しさだと思います。
「何故、大坂で戦死したはずの幸村の墓が?」まず、その五輪塔を所有している寺は龍安寺の塔頭「大珠院」という寺です。元々は市内にあったそうですが、室町時代に龍安寺境内に移転。しばらく荒れ果てていたこの寺を真田幸村の娘婿(幸村の七女・かねの主人)となった備前守・石河光吉が再建し、墓(供養墓)を建てたと言われています。ちなみに石河光吉は秀吉の家臣で犬山城主にもなった武将ですが、関ヶ原の戦いで敗走、その後、京都で剃髪し宗林と号していた茶人・商人であったようです。その経緯があって、今、龍安寺に幸村の墓と言われる五輪塔があるわけなのです。


和歌山県・高野山の麓、九度山町にある真田庵。父・昌幸はこの地で没し、幸村は14年間過ごした。写真提供:九度山町役場産業振興課
生まれは信濃国(現:長野県)父の昌幸も武名高き武将。歴史上に現れてくるのは「関ケ原の戦い」。その戦いで東西に分れた真田兄弟、兄は東軍に付き勝利、幸村は父・昌幸と共に敗者となるものの、命だけは助けられます。有名な話の一つに、関ケ原に向かう徳川秀忠の軍を上田城で食い止め、遅刻させたエピソードですね。結局、父と幸村は敗者となったわけですが、その武勇伝は今も語り継がれています。関ヶ原の戦いの後、幸村は父と共に和歌山・九度山に蟄居を命じられ、そこで14年を過ごしています。現在も和歌山県九度山町には父と幸村が隠棲した跡地に建てられた善名称院・真田庵があります。
そして時の流れと共に、再び幸村は歴史の舞台へ。真田幸村が不朽の武名を残した「大坂冬の陣、夏の陣」へ…という経緯です。


街の中にひっそりと鳥居を構える「高松神明神社」

小さな地蔵堂の中に安置されている「幸村の知恵の地蔵尊」
この地蔵さん、先ほど紹介した隠棲先であった和歌山県・九度山町にある真田庵に安置してあったお地蔵様で、幸村の念持仏であったと言われています。
「それが何故、京都に?」江戸時代、この高松神明神社は真言宗のお寺だったのですが、当時の社僧が和歌山(当時は紀伊国)へ行った際、この念持仏を拝領し、京都に持ち帰ったとのこと。なるほど…!です。
私はこのお地蔵様を知らずに、ふと神社に立ち寄ったのですが、街の中にひっそりと安置されていた「幸村のゆかり」に出会い、ちょっと感激!したことを覚えています。


長野県・上田市にある「池波正太郎真田太平記館」。真田氏の小説を書くために池波正太郎先生が取材を重ねていた「思い」が伝わってくる記念館。写真提供:池波正太郎真田太平記館
この他にも、上田市には真田氏館跡、真田氏記念公園などなど幸村ゆかりの見所が沢山ありますので、是非お出かけ下さい。
ちなみに2016年(平成28)大河ドラマは真田幸村の生涯を描く、三谷幸喜脚本、堺雅人主演による「真田丸(さなだまる)」と決定しています。それも楽しみです。これを機会に池波ファンとしては、また池波先生の「真田太平記」が注目され、沢山の人々に読んでいただけたらいいな、そして私自身も数十年ぶりに、読み直してみようっと。
皆様、一年、「京都物語」ご愛読ありがとうございました。
また来年も「京都物語」をどうぞ、よろしくお願いいたします。
では、良いお年をお迎えください。