風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
桜の名所「哲学の道」に後押しされる!?「吾行く道を吾は行くなり」(2015年2月1日)
 

銀閣寺橋から若王子橋までの散歩道「哲学の道」
 昨年もご紹介しましたが、毎年2月、京都市などが主催となった「京あるき in 東京」が開催されます。今年、5年目。東京にいながらにして、京都を味わい、感じる、学べる企画で構成され、約1か月行われます。詳しくは京あるきのホームページ(http://www.kyoaruki.jp)をご覧ください。私も京都観光おもてなし大使として、講演会も行います。講演会と言うよりも「机上旅行案内」とでも言いましょうか、お勉強というよりも楽しい京都の小話をさせていただきますので、是非、ご参加くださいませ。・・・・・ということで、なんだかんだとイベントがあり、東京を離れられない2月が5年も続いています。

 そんな2月は私にとって、京都へ足を運べない分、余計に京都を思索、思案する悶々とした毎日。自分では哲学的な人間ではないと思っているのですが、常に何か考えているタイプです。“何も考えずに、ただボ~~~っとする”という行為が出来ない、その行為現象自体が分からないのです。時々“あ、今、ボ~~っとしちゃった”と自己申告してくる友人がいると、間髪入れずに「え、今、どういう状態だったのか? 本当に思考が止まって無なのか?」などと興味深く聞いてしまいます。私の中では、ボ~~っと出来る人に対して批判的ではなく、逆に、羨ましいのです。ボ~~っとするという行為を、哲学的? 脳科学的? 心理学的? に分析している研究者に是非お会いして、その定義を聞いてみたいです。

・・・・という難しいような、内容の無い書き出しではありますが、思案・思索するにはもってこいの道、ズバリ「哲学の道」のお話しが今回のテーマです。

桜の名所として知られる「哲学の道」は哲学者・西田幾多郎の散歩道
 

西田幾多郎は約20年間、京都で暮らした。(写真提供:西田幾多郎記念哲学館)
 京都の桜の名所として知られる「哲学の道」。琵琶湖疏水に続く分線沿いの若王子橋から銀閣寺橋までの約1・8キロの散歩道です。桜、満開の時期は、人がゾロゾロと連なり、思うように歩けないほどの人気のスポット。桜は大正時代に画家・橋本関雪が約300本を寄贈したことで、この辺りの桜を「関雪桜」と呼び、親しまれています。昭和になり、分線が埋め立てられる計画もあったようですが、地元住民が京都市に呼び掛けたことで残され、整備されました。現在は、500本の桜並木と四季折々の草花が咲き、「日本の道100選」にも選ばれています。また近くには世界遺産のひとつ、慈照寺・銀閣があることで、拝観者の多くが、恐らく「哲学の道」も歩くと思います。

 この「哲学の道」ですが、私のお薦めは早朝。誰にも会いません。会うとすれば、散歩の犬と飼い主だけ。野良猫さえも、まだ活動前らしく早朝には見かけません。本当に、その名の通り、思案・思索するには最高のロケーションであり、そして適度な距離なのです。


「人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり」と刻まれた西田幾多郎の碑
 「哲学の道」は大正~昭和に活躍した京都帝国大学(現:京都大学)の哲学者たちが散歩したことに因んで名付けられました。それ以前の明治期にも文人たちが好んで、周辺に住んで散歩していたことから「文人の道」と呼ばれていた時代もあったようです。散歩した哲学者たちは西田幾多郎、河上肇、田辺元ら。

 西田幾多郎は日本を代表する哲学者で、京都学派(定義には諸説あるが一般的に)の基礎を築いた人物、その哲学は「西田哲学」と称されています。

 西田幾多郎は40歳から58歳の約20年間、京都で教鞭をとっていました。京都の自宅にあった書斎は邸宅が取り壊しの際、故郷である石川県かほく市に移築されています。晩年は鎌倉と京都を行き来していたようです。

 「哲学の道」を歩いていると、道の途中に西田幾多郎の石碑が建っています。石碑には「人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり」と独特な字で刻まれています。これは西田幾多郎が64歳、昭和9年の元旦に詠まれたもの。
素敵な素晴らしい言葉ですね。

西田幾多郎の故郷が近くなる! 3月14日から、金沢まで新幹線が走る!
 

西田幾多郎の故郷の街に「西田幾多郎記念哲学館」がある(写真提供:西田幾多郎記念哲学館)
 西田幾多郎の故郷は石川県かほく市。宇野気駅前には西田幾多郎の銅像が建っています。

 「哲学の道」「哲学の小径」などと呼ばれる道が宇野気駅周辺にも幾つかあり、その道沿いには西田幾多郎の短歌が刻まれた銅板が建っているとのこと。地元の偉人は、今も市民に親しまれていることが分かります。

 そして京都から移築された書斎「骨清窟」は現在、石川県 西田幾多郎記念哲学館に保存され、国の有形文化財指定となっています。この西田幾多郎記念哲学館では、哲学のことや西田幾多郎の功績が分かる展示室があります。その展示室が長期休館を経て、3月21日リニューアルオープンします。来月、北陸新幹線が金沢まで走るようになると、西田幾多郎の故郷もぐっと近くなります。同館へは金沢駅から七尾線に乗り換え「宇野気駅」下車、徒歩20分です。

 西田幾多郎記念哲学館のホームページ
 (http://www.nishidatetsugakukan.org/index.htm)

 哲学や哲学者は私には縁のない、遠い世界の様な気がしていましたが、桜の名所「哲学の道」に始まり、京都にゆかりの深い哲学者・西田幾多郎が気になり始めました。西田家が加賀藩のお役人であり由緒ある家柄だったこと、学習院大学にもゆかりがあり、かほく市の長楽寺、京都の霊雲院、そして鎌倉の東慶寺の3ヶ寺に墓があることなど、まだまだ実はご紹介したいこともありますが、またの機会に。


疏水分水と白川の交差地点にある「西田橋」。西田幾多郎との関係は!あるのか?
 あ、「哲学の道」に並走する疏水分水と白川の交差地点に架かる橋の名前が「西田橋」。西田幾多郎のお屋敷は、この近くだったのかな?と自己推測。今度、管理する京都市上下水道局水道部疏水事務所に橋の名の由来を聞いて来ます。それから、ちなみに同水道局は「関雪桜」(前出)を後世に残そうと、この西田橋付近に「関雪桜」の後継苗木を植樹しました(平成21年)。その成長ぶりも気になるので春に確かめに行こうっと。

 京都を毎月、訪れている私は毎回、発見と疑問に遭遇。いつも宿題を抱えて東京に戻ります。それを調べ机上で諸々準備し、いざ京都へ確かめに行くと「!」感動、そして新たな「?」に出会います。私は京都への尽きる事のない探求心を生涯、追いかける人生…「吾行く道を吾は行くなり」です。

プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京生まれ、國學院大學卒業後、スポーツ新聞社を経て京都市へ転居。東京に戻り京都市の「京都館」勤務、2012年春退職。現在、首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザーとして活動中。BS朝日「京都1200年の旅」、「京都検定」講師。京都観光文化検定1級取得。「京都観光おもてなし大使」