風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
京都から嫁いだ武田信玄の正室を訪ねる旅(2016年1月1日)
 
信玄の妻「三条の方」訪ね、甲府へ


新年、明けましておめでとうございます。
今年も風土47「京都物語」をどうぞ、よろしくお願いいたします。


甲府駅前の武田信玄の力強い銅像
 さて、突然ですが、私が積極的に活動している仕事の一つに「修学旅行事前学習講演会」があります。これは修学旅行先を「京都・奈良(神戸・大阪)」へと予定している中学校へ出向きお話しするというものです。日本の歴史、京都で起こった出来事、文化財、芸能・文化など、中学生に楽しく学んでいただこうという活動です。東京在住の私自身も中学の修学旅行は「京都・奈良」でした。班行動で「どこへ行こうか?」と計画した記憶があります。生徒数名で構成された各班がタクシーや公共機関を使って「京都の名所を巡る」、その計画のお手伝いということです。中学2年生、14歳、多感な時期ですが、どの学校へ行っても生徒さんは皆、礼儀正しく、大人しく、拙い講義にも耳を傾けてくれています。なるべく、教科書やガイドブックには載っていない楽しい話、中学生でも興味が涌くような解説を心掛けています。この活動は単に教育の一環というだけでなく、私にとっては“未来の京都ファン”の裾野を広げる大切で重要なPR活動だと思っています。

 つい先日、そのご依頼で、甲府駅近くの中学校へ行きました。講義は午後からだったので、朝早く甲府駅に降り立ち、午前中に“ある場所”へ向かいました。


甲府・円光院への参道。駅からバスと徒歩で約30分
 甲府駅前には勇敢な武田信玄の大きな銅像が出迎えてくれて、「おお~」と思わず声が出てしまい、信玄ゆかりの地であることを実感。駅前からバスと徒歩合わせて約30分で、今回の私の目的地である「円光院」へ到着。「円光院」は武田信玄創建「甲府五山」の一つで、臨済宗妙心寺派の寺院です。

 向かった理由は、どうしてもお墓参りをしたい人物がそのお寺に眠っているからです。その人物とは、武田信玄正室・三条の方。京都の公家・三条公頼(きんより)の娘で、16歳のときに甲斐の国・武田家へ嫁いだ女性です。媒酌人は今川義元。三条の方の逸話は色々あるようですが、戦国時代を生き抜いた女性の一人です。

ナント!あの仏師が甲府へ来ていた!
 

円光院本堂。円光院は臨済宗妙心寺派

木造厨子入刀八毘沙門天像と勝軍地蔵像の紹介看板
 お寺に到着し、まずは本堂へお参り。墓地へ行く前に、ご住職とお話をすると、何と、円光院と京都のゆかりは、三条の方だけではなかったことが発覚! こちらに所蔵されている甲府市指定文化財「刀八毘沙門天像」と「勝軍地蔵像」は京都七条大仏師・康清作ということを教えていただきました。この両仏は厨子に入っており、信玄が戦場にもお持ちになって戦勝祈願をなさった念持仏とのこと。その京都ゆかりの七条大仏師・康清は、信玄に召されて制作したと伝わっています。仏師・康清は京都・三十三間堂の千体の観音像を作った慶派(仏師の派)の一人であり、また、大徳寺・総見院にある織田信長像も彼の作品。今回、その念持仏を拝むことは叶わなかったのですが、京都のゆかりに触れるお話しに、感激した私。車も電車もない時代に、遠方まで来られ、制作に励まれた仏師の思いに気持ちを重ねました。
いよいよ「三条の方」に手を合わせて…
 

「三条の方」お墓への案内と人柄を偲ぶ看板

見晴らしの良い場所にある「三条の方」のお墓
 さて本来の目的、三条の方のお墓参り。看板が出ているので迷うことなく進むと、少し高台、見晴らしの良い場所にお眠りでした。16歳で信玄に嫁ぎ、亡くなる50歳まで、京の都から遠く、山々に囲まれた甲斐国で過ごした三條の方。信玄を支え、女性としての運命を全うしますが、信玄との間に産まれた5人の子供たちは病気、死亡、離縁など、不運に見舞われます。特に長男の義信は信玄暗殺の謀反の疑いをかけられ、家督を継ぐことができず、30歳で没しています。母である三条の方も長男・義信の死によって、その運命が変わり、禅尼となって、円光院で静かにお暮しになられたそうです。

 また三条の方の父・公家の三条公頼も周防(山口)の大内氏を頼り下向(下向=都から地方へ行くこと。戦国時代、公家は経済的に苦しく、有力武将を頼って移住。地方の武将は京の文化人を庇護し、地元に都の文化を取り入れるなど)。その周防で起こった家臣の謀反「大寧寺の変」に巻き込まれて亡くなり、三条家は断絶。後に分家筋が三条家を継いでいます。

京都に残る三条家ゆかり「梨木神社」


 その三条家の流れを受け継ぐ三条実万(さねつむ)実美(さねとみ)が祀られているのが京都・梨木神社(なしのきじんじゃ)。一昨年、境内の一部がマンションになったことでニュースになりましたが、萩の名所、名水「染井(そめのい」」で地元に親しまれています。


京都・梨木神社は三条家ゆかり

京都・梨木神社の名水「染井」
 この二人は明治維新の功労者で、明治天皇が甲府の円光院を訪れた際に実美も御参拝しており、13代前の祖先・三条の方の墓にも手を合わせておられるとのこと。

 私も墓前に手を合わせながら、戦国時代ゆえ、武田家の政略結婚であったことは、時代と身分的にも仕方がなかったとは言え、数々の身内の悲しい運命を受け止めなければならなかった三条の方。京に帰りたいとホームシックの日々もあったことでしょう、現代から考えると昔の女性は逞しく、心の強さ、覚悟は並大抵ではなかったと感服するばかり。心の中でしばし、現在の京都の土産話をお伝えし、私なりの供養とさせていただきました。

 お参り後、円光院を後にする私にご住職が改めてお声をかけて下さり、仏師・康清の彫った信玄の念持仏の資料(冊子)を下さいました。今回は実際の仏さまを拝めませんでしたが、その写真から、康清の見事な技術、表現力、そして手を合わせた信玄の祈り、願いを読み取ることができました。地方の京都ゆかりの人々を訪ねることで縁となった、ご住職と私の出会い。それによって、武田家の歴史を教えていただいたく機会となりました。

 寺を後にし、甲府の中学校へ向かい、講義にはより一層、力が入った私でありました。

 今回は、旅日記になってしまいましたね、お許しを。是非、甲府駅から片道30分、タクシーを利用すれば直ぐ。円光院へ、近くには武田信玄公のお墓もありますので、合わせて是非。

  • 甲府・円光院  0552・53・8144
  • 京都・梨木神社 075・211・0885
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き!にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ