


新年、明けましておめでとうございます。
今年も風土47「京都物語」をどうぞ、よろしくお願いいたします。

甲府駅前の武田信玄の力強い銅像
つい先日、そのご依頼で、甲府駅近くの中学校へ行きました。講義は午後からだったので、朝早く甲府駅に降り立ち、午前中に“ある場所”へ向かいました。

甲府・円光院への参道。駅からバスと徒歩で約30分
向かった理由は、どうしてもお墓参りをしたい人物がそのお寺に眠っているからです。その人物とは、武田信玄正室・三条の方。京都の公家・三条公頼(きんより)の娘で、16歳のときに甲斐の国・武田家へ嫁いだ女性です。媒酌人は今川義元。三条の方の逸話は色々あるようですが、戦国時代を生き抜いた女性の一人です。


円光院本堂。円光院は臨済宗妙心寺派

木造厨子入刀八毘沙門天像と勝軍地蔵像の紹介看板


「三条の方」お墓への案内と人柄を偲ぶ看板

見晴らしの良い場所にある「三条の方」のお墓
また三条の方の父・公家の三条公頼も周防(山口)の大内氏を頼り下向(下向=都から地方へ行くこと。戦国時代、公家は経済的に苦しく、有力武将を頼って移住。地方の武将は京の文化人を庇護し、地元に都の文化を取り入れるなど)。その周防で起こった家臣の謀反「大寧寺の変」に巻き込まれて亡くなり、三条家は断絶。後に分家筋が三条家を継いでいます。

その三条家の流れを受け継ぐ三条実万(さねつむ)実美(さねとみ)が祀られているのが京都・梨木神社(なしのきじんじゃ)。一昨年、境内の一部がマンションになったことでニュースになりましたが、萩の名所、名水「染井(そめのい」」で地元に親しまれています。

京都・梨木神社は三条家ゆかり

京都・梨木神社の名水「染井」
私も墓前に手を合わせながら、戦国時代ゆえ、武田家の政略結婚であったことは、時代と身分的にも仕方がなかったとは言え、数々の身内の悲しい運命を受け止めなければならなかった三条の方。京に帰りたいとホームシックの日々もあったことでしょう、現代から考えると昔の女性は逞しく、心の強さ、覚悟は並大抵ではなかったと感服するばかり。心の中でしばし、現在の京都の土産話をお伝えし、私なりの供養とさせていただきました。
お参り後、円光院を後にする私にご住職が改めてお声をかけて下さり、仏師・康清の彫った信玄の念持仏の資料(冊子)を下さいました。今回は実際の仏さまを拝めませんでしたが、その写真から、康清の見事な技術、表現力、そして手を合わせた信玄の祈り、願いを読み取ることができました。地方の京都ゆかりの人々を訪ねることで縁となった、ご住職と私の出会い。それによって、武田家の歴史を教えていただいたく機会となりました。
寺を後にし、甲府の中学校へ向かい、講義にはより一層、力が入った私でありました。
今回は、旅日記になってしまいましたね、お許しを。是非、甲府駅から片道30分、タクシーを利用すれば直ぐ。円光院へ、近くには武田信玄公のお墓もありますので、合わせて是非。
- 甲府・円光院 0552・53・8144
- 京都・梨木神社 075・211・0885