


市内の中心部にある与謝蕪村宅跡
俳句は5・7・5という究極の制限の中に、景色が浮かび、心情が読め、主人公に共感できるような、不思議な世界。簡単そうだ!俺にも作れるさ!と、いざ句を詠もうとすると、季語?あれ?ああ~字余り…ん…~言いたいことが収まらない!となるので、蕪村のこのシンプルであって奥が深く、そして親近感のある「菜の花…」の句の凄さを痛感します。
2016年の今年、その与謝蕪村は生誕300年を迎えます。実は先月、ご紹介した伊藤若冲も同じ年の生まれ。二人とも節目の年なのですが、若冲はほっといても騒がれ「若冲展」などが開催されますが、どうも蕪村は分が悪い、ということで、今回は、「俳諧の中興者」と言われる与謝蕪村を紹介。
現在までに確認できる蕪村の句は約3200句。彼は画人としても有名ですが、今回は俳人としての足跡を追います。


宮津にある別名「蕪村寺」とも呼ばれる見性寺


日本三名勝・天橋立も訪れた蕪村

天橋立の散策路の途中に建つ句碑
「はし立てや 松は 月日のこぼれ種」蕪村


芭蕉を敬慕していた蕪村が復興させた金福寺「芭蕉庵」

京都駅に近い粟島堂に建つ句碑
そして京都に戻って拠点を置き、讃岐などにも行きますが、京都で没し、洛北の金福寺に眠っています。金福寺には墓のほか、愛用の文台や硯箱が残り、生前には敬慕する松尾芭蕉ゆかりの「芭蕉庵」を復興させ、俳人の結社を作り、句会を何度も開きました。句碑は京都駅近くの粟島堂などにも残っていますが、与謝蕪村の縁が一番深いのは、この金福寺と言えるでしょう。
「粟島へ はだしまいりや 春の雨」蕪村


蕪村は現在の大阪市都島区生まれ

誕生地にはゆかりの「蕪村公園」もある

大阪市都島区の毛馬堤防に建つ誕生地碑
蕪村の生まれた村は現在、都市計画が進んで川の中。生誕地の碑は、その川底の村を見守るように、堤防の上に建っています。また近くには淀川改修100年記念で作られた「蕪村公園」があり、彼の功績をたたえた案内板や13の石に句が刻まれ公園内に点在しています。
淀川の流れ、大きな閘門、整備された堤防や散策路、そして広場。生誕の碑に刻まれた「春風や 堤長うして 家遠し」の愛郷の句。故郷には帰らなかった?帰れなかった?蕪村の心情を思うと、ぐっと胸にくるものがありました。私が訪ねた時、石碑の隣の白梅が満開で春の突風に揺られていました。
「うめの地の 咲く花揺らす 蕪村かな」直美