4月になり、桜が咲き、花冷えはするものの、今から初夏までの季節は本当に息吹が感じられ、美しいですね。「日本に生まれて良かったな」とつくづく思う風景に出会う時期です。
また4月は就職、進学、異動など人生の節目を迎え、新しい環境でスタートする方も多く、気持ちも引き締まるものです。今、置かれている立場や社会との関わりに、仕事に満足するもしないも、自分次第ではありますが、もし、もしも他の仕事に就けるとしたら何が良いか?と問われると「今の自分でもいいのかな?」とぼんやりと考えたりします。それでも、まあ「憧れ」で、絶対なれない職業で違う人生を送れたら…と思い浮かべるとするならば、私の場合、間違いなく「絵師」「画家」です。絵が下手だから羨ましいというのもありますが、画力という力を、ここ15年位で思い知らされたという衝撃がなお一層、絵師・画家への尊敬、スター性を感じてしまいます。
…ということもあって、「京都物語」このところ絵師・画家が続いており、申し訳ない…と言い訳しながら、今回は近代文人画の巨匠・富岡鉄斎の生誕180年を記念し、御紹介します。
《富士山図》(右隻)1898年 紙本着色、六曲一双 清荒神清澄寺 鉄斎美術館蔵(前期展示)
神戸市中央区にある兵庫県立美術館
京都のみならず、富岡鉄斎(1836~1924年)の作品に出会う確立は非常に高い、言い換えれば、どこにでも富岡鉄斎の作品がある、ということになります。長生きなさったことは知っていたので、今回はそれも含め、調べ検証してみました。作品は約1万点あると記述が各書にあって、10代から絵を描き始め、89歳のお亡くなりになるまで筆を取られていたので、製作活動期間を大きく見積もっても約80年と仮定します。…とすると1万点を割って、1年で125作、1か月間で10作を描きあげたことになります。大作や、ささっと描いた作、書と差があるにせよ、それでも1年で100作を越える制作が、どれだけ精力的であったか、想像を超えます。鉄斎の作品で手を抜いているなと思った作品は一つもありませんから、それなりに制作には時間をかけていたと思われます。
さらに鉄斎は明治維新後、天理市にある石上神宮、大阪堺市の大鳥神社、京都の車折神社の宮司を務め、神社の復興に尽力した時期もあります。幼き時から耳に障害があった鉄斎は歌人・大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)に預けられ、彼女に歌や学問を学びつつ、歌をかいた焼き物「蓮月焼」の制作や彼女の施業を手伝った若き日々と考えられます。ついでに幕末には勤皇学者として奔走していましたゆえ、絵を描くことだけに没頭していた人生ではなかったはず。晩年は学問と画業三昧だったようですが、それにしても、です。1か月で10作…私は自分が情けない、1か月、片手にも及ばない原稿本数でさえ、締切ギリギリ、アップアップゆえ、本当に尊敬します。
兵庫県立美術館で開催中の「鉄斎」展は5月8日まで
そんな鉄斎は今年、生誕180年を迎え、5月8日まで、兵庫県立美術館にて「特別展 富岡鉄斎-近代への架け橋-展」が開催されています。4月10日(11日休館)を境に前期、後期とほぼ全ての作品が入れ替わり、合わせて約200点の作品と資料が公開されます。土曜日には学芸員による解説会もあります。
同じ兵庫県内、宝塚市にある清荒神清澄寺山内にある「鉄斎美術館」でも生誕180年を記念した展示が6月19日まで(5月9~13日休館)行われていますので、そちらも合わせてお出かけください。
京都・車折神社 本殿
さて京都の足跡は、先ほどの紹介の通り、幼き頃は年齢差が45歳ある歌人・大田垣蓮月と同居、行動を共にしております。彼女は30数回、引っ越ししていますので、どのタイミング、どこに居る時に鉄斎を預かり、何時、鉄斎は独立したのか? 調べきれていません。ですが、蓮月は自分の子供を幼くして相次いで亡くし、母親としての不幸があったがゆえ、鉄斎に愛情を深く注いだことは間違いありません。その蓮月は洛北の「神光院」にて85歳で没しています。
京都・車折神社境内にある歌碑
鉄斎は明治維新後、神社の復興に尽力しますが京都では嵐山近くの「車折神社」(くるまざきじんじゃ)の宮司になっています。明治21年~26年まで務めました。現在の本殿扁額、社号標なども鉄斎の筆、境内には2000本の筆を納めた筆塚と歌碑もあり、偲ぶことができます。
京都・車折神社の鉄斎デザイン絵馬
ちなみに余談ですが、私のコレクションである絵馬の中にも鉄斎がデザインした絵馬が2つあります。一つは、この車折神社、もう一つは仁和寺の近くある「福王子神社(ふくおうじじじゃ)」です。双方ともにおめでたい「宝船」が描かれています。車折神社の絵馬には回文(上から読んでも、下から読んでも同じ)も書かれてあり興味深いです。
鉄斎が眠る京都・洛西にある是住院
晩年は現在の京都御所の西に住み、現在はその場所に「富岡鉄斎旧宅」の碑が建っています。つい最近まで京都府府議会公舎として活用されていました。全国的に有名な和菓子店・虎屋本店が近所ということもあって、虎屋と鉄斎の繋がりもありますので、興味のある方は虎屋ホームページを覗いてください。
是住院本堂前にある瘞筆塚
鉄斎のお墓は洛西の「是住院」(ぜじゅういん)の墓地にあります。この是住院は元々、現在の四条河原町・高島屋の裏あたりにあった寺でしたが、昭和になって、この地へ移転しました。本堂前には自ら生前に建てた瘞筆塚(えいひつづか)があり、道具を重んじたお人柄が感じられます。観光社寺ではありませんので、墓参りにはひと声、お声かけください。
是住院の墓地にある鉄斎の墓
鉄斎の作品は先ほど述べたように、あちらこちらで出会います。約1万点もの作品が伝わった経緯は様々あるにしても、いずれも宝物として、文化財として、大切に所蔵されていることが尊いです。近代日本画家の巨匠、日本最後の文人、富岡鉄斎の作品をゴールデンウイークに是非ご覧いただき、ゆかりの京都へもお出かけください。