風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」

 塩原からお知らせ・・・

「京都カフェ〜10月」開催のご案内

 京都ファン、歴史ファン、京都を旅する人、京都人、東京勤務の京都企業の方など、どなたでも、ご参加いただけます。

 毎回のお題に対して、楽しくてためになる情報交換、京都愛あふれるトークを参加者、皆で繰り広げています。

 10月のお題は「本当は教えたくない紅葉」

 10月23日・日曜日 参加費 1人 2,000円(お茶・菓子付)

 場所 「カフェセレ」(東銀座駅 徒歩1分 銀座松竹スクエア2階)

 時間 13:00~15:00

 詳細は公式FB「京都カフェ実行委員会」にてご確認ください。

2018年NHK大河「西郷どん!」 予習旅を鹿児島と京都で

西郷隆盛銅像 写真提供:鹿児島市
 来年2017年は「大政奉還」から150年、「坂本龍馬」没後150年ということで、京都では特別公開やイベントが企画されています…ということは、その翌年2018年は、明治維新150年…少々気が早いですが…そのタイミングで2018年の大河ドラマは「西郷どん!(せごどん)」、西郷隆盛に決まりました。

 幕末から明治維新へのキーパーソンであり、2度も島流しに遭い、自殺するも助かり、結婚も数回? 最後は故郷で自決するといった波乱万丈の西郷さん。他の歴史人物をなかなか「~さん」付けして呼ばないですが、何故か西郷さんだけは知り合いでもないのに「~さん」付けしてしまう…これが、西郷さんが誰からも愛される魅力であり、その証拠なのかもしれません。

 上野の銅像でも親しみのある西郷さんですが…実はあれ、似てないらしいですね、自画像や似顔絵もなく、その風貌は謎…NHK大河ドラマ、主役の西郷さんを誰がするのか? とても楽しみです。私は個人的には、佐藤浩市さんがいいな…意外な大抜擢では、山口智充さんがいいなと…あくまで希望。…いうことで、今回は西郷隆盛のゆかりの鹿児島市と京都のお話しです。

西郷さんは入水自殺をして助かった?!

桜島 写真提供:鹿児島市
 鹿児島には西郷さんのゆかりの場所は沢山あります。誕生地は鹿児島の加治屋町、記念碑が建っています。西郷さんを大抜擢したのは、江戸時代後期1851年に藩主になった島津斉彬(なりあき)。近代産業、軍備に力を注いだ、当時では先見の目を持った革新的な藩主でした。西郷さんも斉彬が存命中は良かったのですが、没後は藩政が大きく変わり、また安政の大獄もあって、その人生を翻弄されることになります。

 さて、まずは京都清水寺塔頭・成就院住職・月照と西郷の入水自殺に関して。

 西郷さんと度々、東福寺塔頭・即宗院などで密会をしていた勤皇僧・月照。「安政の大獄」が激化する京都では危ないゆえ、薩摩でかくまおうと西郷は企みます。月照は何とか薩摩まで到着。ところが、斉彬が没した薩摩藩は急速に保守化してしまい西郷さんは月照を自分の力では守り切れないと判断。追い込まれた二人は桜島が見守る錦江湾で入水自殺を図ります。月照は命を落としましたが、西郷さんは同船していた平野國臣(福岡藩士)に助けられ、そして奄美大島に潜伏することになります。


清水寺境内にある西郷と月照の碑
 この出来事を語り継ぐかのように清水寺の境内の一角に顕彰碑が建っています。3つ並ぶ碑は、左から信海(月照の弟)の辞世、中央が月照の辞世、右は西郷さんが17回忌に詠んだ漢詩。そして、3基の前には平野國臣の詩碑も建っています。

 ちなみに月照と西郷さんが、討幕計画の密会を重ねた東福寺塔頭・即宗院は薩摩藩の菩提寺。明治維新後、西郷さんは幕末の動乱での戦死者した薩摩藩士524人の名が刻まれた「東征戦亡の碑」に揮毫しています(通常非公開)。また現存はしませんが清閑寺の境内にあった茶室でも密会していたようです。

京都にある西郷さんゆかりのスポット

薩摩島津伏見屋敷跡碑

伏見にある大黒寺には伏見七名水「金運清水」がある
 助けられた西郷さんは奄美大島に潜伏、再び藩政の舞台に呼び戻されます。この間、薩摩藩士同士が斬り合う寺田屋事件が京都伏見で起こるなど、藩内の混乱ぶりを伺わせます。その寺田屋事件で犠牲になった薩摩藩士9名の墓があるのが伏見・大黒寺。伏見薩摩藩邸に近い大黒寺は江戸初期から薩摩藩の祈祷所となり、別名「薩摩寺」とも呼ばれていました。寺田屋事件で犠牲になった9名には、お墓らしいものがなかったのですが、後に西郷さんが墓碑銘を書いて手厚く供養しました。大黒寺には、西郷さんと大久保利通が会談した部屋なども残っています(通常非公開)。境内には伏見七名水の「金運清水」もあります。

 ちなみに寺田屋事件と呼ばれる襲撃は2回起きています。1度目がこの薩摩藩士同士討ち、2度目は坂本龍馬が負傷して、材木小屋に避難した後、伏見薩摩藩邸に逃げ込んだという事件です。お龍さんが機転を効かせて、助けたというエピソードで有名ですね。

 薩摩藩も混乱する中、ようやく西郷さんが呼び戻され、藩政に加わり、禁門の変では薩摩兵を指揮、そして薩長同盟を締結させるなど大活躍します。


二本松薩摩藩邸跡碑

京都大丸裏に建つ薩摩藩邸跡碑
 この薩長同盟、締結した場所は京都・二本松薩摩藩邸(現在の同志社大学)と長く定説でしたが、その後、研究が進み、当時の薩摩藩家老・小松帯刀邸宅「御花畑」だったということは分かっていました。そしてついに、今年6月、その小松帯刀邸のあった場所も特定できたという新聞記事が出ました。同志社大学の直ぐ近くです。

 余談ですが、京都の薩摩藩邸は市内と伏見を合わせて幾つか存在しました。有名な龍馬が中岡と襲われた近江屋での暗殺事件。その事態を急いで知らせたとされる薩摩藩邸は現在の京都大丸あたりにあった薩摩藩邸で、大丸裏には「薩摩藩邸跡碑」があります。

鹿児島市で西郷さんの足跡を訪ねる

田町にある江戸城開城会見之地

西郷洞窟 写真提供:鹿児島市

維新ふるさと館幕末探訪郷中教育ゾーン
写真提供:鹿児島市
 そして大政奉還、戊辰戦争となり、勝海舟と西郷さんが会談し、江戸城無血開城へと時代は進んでいきます。東京・田町には「江戸城開城会見之地」の記念碑が建っていて、西郷さんの活躍は誰もが知るところであります。

 その後、西郷さんは明治新政府の参議を辞任して(辞任理由は朝鮮半島への使節派遣の意見の違いと言われています)鹿児島へ戻ります。

 西郷さんに従って鹿児島に戻ったメンバーを中心に私学校設立。西郷さんは湯治、狩猟、開墾で過ごしていましたが、やがて政府に反発した私学校の生徒の暴走を端に、西南戦争へと発展します。西郷さんの最期は政府軍に追い込まれ、鹿児島・城山に立てこもり、そこで自決します。その城山には西郷さんが5日間、立て籠った「西郷洞窟」があり、麓には、桜島を眺める西郷隆盛銅像(台含め高さ8m)があります。

 JR鹿児島駅近くには私学校跡碑など、西郷さんを偲ぶスポットがたくさんあります。また、それらの歴史を楽しく学べる演出のある「維新ふるさと館」もお薦め。

 2017年は大政奉還、2018年は明治維新、それぞれ、あれから150年。幕末、明治をもう一度、見直して偉人たちの活躍、功績、そして命を掛けて守ろうとした思いに触れてみてはいかがでしょうか。そして、NHK大河ドラマ「西郷どん!」に登場するであろう鹿児島、東京、京都など、その舞台となる街に是非、旅をしてください。

プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ