風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
笠置へ、吉野へ 後醍醐天皇の足跡

笠置山からの眺め
 「いやいや、遠かった…」京都から、お隣の奈良・吉野へ小旅行のつもりで出かけましたが、なんと1日ががりの大旅行になってしまいました。片道約3時間。京都から東京・都内への移動と同じですね。

 目的は桜ではなく「波乱の人生を送った後醍醐天皇の足跡を追う!」というマニアックな旅。以前、バスツアーで千本桜のお花見には行ったことがありますが、今回は歴史旅。

…ということで、奈良吉野、京都府笠置など後醍醐天皇のゆかりの地をご紹介します。

笠置山は秋の紅葉、行場めぐりがお薦め

笠置駅前のモニュメント

笠置産業振興会館に展示されている後醍醐天皇と楠木正成

笠置寺の磨崖仏
 第96代・後醍醐天皇は鎌倉時代から室町時代への転換期の天皇です。天皇が政治権力を握ることを強く望み、実現しようと戦った天皇と言えます。

 まず鎌倉幕府倒幕を側近らと企みます。鎌倉幕府の京都における軍事拠点、六波羅探題の襲撃計画。でも事前に漏れてしまい失敗。懲りずに再度、倒幕計画したものの、これも事前に幕府側に漏れてしまい、追い込まれて京都を脱出します。

 脱出先が、これまた遠い。京都府と奈良県の県境の笠置山です。ここに後醍醐天皇は立て籠もり、約1ヶ月戦いますが敗戦。隠岐の島へと配流されてしまいます。

 流石に隠岐の島への取材はしておりません…。

 この笠置山は「行場めぐり」という奇岩、巨岩の中を歩く、修行スタイルが、観光化されており我々も巡ることができます。約40分~1時間、美しい景色を見ながら、歴史ロマンにも浸れます。山全体が笠置寺という奈良時代からの名刹。絶壁に掘られた大きな磨崖仏が有名ですが、この戦いで戦場となり、そのお姿はかろうじて残る程度になってしまいました。紅葉の頃、お天気の良い日にぜひ。京都駅から笠置駅までは、乗り継ぎが上手くいって1時間半。駅から笠置山まで徒歩1時間。タクシーは基本的に呼ばないとありません、ご注意を。笠置も京都からで1日かがりの旅と思っていただいてOK。

奈良・吉野、桜以外も見所あり

奈良吉野 金峯山寺

奈良吉野 後醍醐天皇 南朝跡

奈良吉野 吉水神社 書院と庭

吉水神社に残されている書院には後醍醐天皇の玉座が伝わる

後醍醐天皇の玉座
 さて後醍醐天皇は幕府軍に完敗しましたが、しばらくして天皇側についた楠木正成が再び挙兵、諸国に倒幕の勢いが広がります。後醍醐天皇は配流先の隠岐から脱出。その後醍醐天皇に味方したのが足利尊氏。鎌倉幕府は終わり、室町時代へと時代が大きく変わります。

 後醍醐天皇は京都に戻り、政治実権を握ります。(建武の新政)しかし軌道にのらず、後醍醐天皇の政治に不平不満が高まり、味方だった足利尊氏までもが敵となり、後醍醐天皇は窮地に…。

 そして今度は奈良・吉野に逃げ、南朝を立てます。奈良吉野には南朝、京都に北朝と2つの朝廷がしばらく存在したということです。後醍醐天皇は都奪回を念じながら、吉野で没します。

 その吉野。桜の時期以外は閑散としているだろう…と思いきや、おられました外国人観光客。今や日本人よりも外国人観光客の方が日本を旅しているのでしょう。外国人観光客であふれかえる京都から後醍醐天皇の様に逃げてきたのに、ここでも「訪日客、最多記録」という事実を目の当たりにしました。また霊場「吉野・大峯」は世界文化遺産となったことで注目も浴びているのでしょう。

 吉野山ロープウェイ(現在、運休中だがバスが代行運行)、吉野山駅から徒歩で10分、金峯山寺蔵王堂へ到着。大きかった~高さ34メートルもあって、東大寺大仏殿の次に大きな木造建築だそうです。そのお堂の左手、少し下ると、後醍醐天皇が拠点とした皇居跡「吉野朝宮跡」があります。当時は実城寺という寺を仮御所としていたようですが、実城寺は明治に廃寺、今は御本尊が残るだけです。そこから更に10分程度歩いて吉水神社を目指します。途中、両側に吉野葛などの名物もいただける甘味処などがあります。

 吉水神社に到着するころ強風が急に吹いてきて、土の匂いが漂いはじめ「怪しい…」。するとゲリラ豪雨!!!この山奥でゲリラ豪雨。帰れるか?と心配になるほどの降り様…吉水神社にある書院で見学を兼ねて、しばし雨宿り。

 でも、この書院が見応えがありました。後醍醐天皇のゆかりの品々や玉座の間などを拝見。この吉水神社の庭にある門から、後醍醐天皇は京都を思い、都に戻りたいと願っていたとのこと。雨が止んだ瞬間を逃さず、一目散に元来た道を戻りました。


後醍醐天皇ゆかりの遺品も展示

後醍醐天皇は書院前の庭にある門から京都へ向かって祈りをささげた
敵味方もない 禅の精神 天龍寺

嵐山・天龍寺

天龍寺境内にある多宝殿の内部
 最後に京都市内、嵐山にある世界遺産の一つ天龍寺。この天龍寺は足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した寺です。激動の時代の中、時に味方に、時に敵となった二人。その恩讐を超え、平等に極楽往生を願う「怨親平等」の禅の精神が天龍寺にはあります。境内には多宝殿という建物があり、後醍醐天皇像が祀られています。この場所は、後醍醐天皇が若き日に学問をなさっていた場所で、また建築様式は吉野に逃れていた時の紫宸殿を模しているそうです。こうした時代背景や歴史を学び訪れると、ず~っと昔の時代の、会ったこともない人たちが逞しく生きた息吹をとても身近に感じます。
結論・・・
 尊氏と後醍醐天皇のイイ話のあとに何ですが…結論。都からこんなに遠い笠置や吉野まで歩いてきたのね…後醍醐天皇。天皇は牛車と輿に乗っていただろうが、側近らは徒歩。私は「遠い~」と嘆きながら電車とバスを乗り継いで来た…。昔の人は本当に健脚。食糧事情だって今よりも悪いはずなのに…体の丈夫さ、足腰の強さ、尊敬します。私は吉野から京都まで記憶がないほど車内で爆睡、さらに京都から東京への新幹線車内もZZZ。情けない…。
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ