風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
豊臣の大阪、秀吉の京都

大阪城
 京都の外国人観光客の多さに「スゴイ」と思っていたのですが…今回は大阪にも行き、京都どころではない“ものスゴイ外国人観光客”に驚きました。まさか、この高温注意報が発令される炎天下、猛暑の中、大阪城天守閣に登るために並ぶとは予想外…参りました。

 こんな暑いのに皆すごいなと、自分もその群衆の一人であることは棚に置き、感心しました。ということで、今回は秀吉の京都と大阪のゆかりを辿りながら、熱く?語ります。

大阪城公園には豊國神社が…

大阪・豊國神社

大阪・豊國神社の秀吉像

大阪城
 地下鉄・谷町4丁目駅から地上にあがり大阪城公園を目指しました。濠と石垣が立派で「流石だな~」と感動。大手門を潜り、汗だくになりながら、歩みを進めると桜門に入る前の右手に「あれ?ここにも豊国神社がある!」と驚きの発見。豊臣秀吉を神として祀る豊国神社は京都にもあるので、納得する反面、興味深くお参りしました。

 京都の「豊国神社」は秀吉没後の翌年(1589年)に創建され、荒廃するも明治に再興。大阪の「豊國神社」は、その再興後の明治12年に別社として創建とのこと。ちなみに大阪は國の字で「ほうこくじんじゃ」と読み、京都は国の字で「とよくにじんじゃ」と読みます(だけど京都の皆さんは「ホウコクさん」と親しんで呼んでいる)。

 大阪の豊國神社では参拝者を出迎えてくれるのが全長5.2mの秀吉像、大きいです。

「そういえば、京都には秀吉の野外の銅像ないな…」などと思いながら、いよいよ桜門をくぐり、大阪城天守閣へいざ!

「え!!!並んでいる…」汗が滝のように流れ落ち過酷な状況の中、ようやく、やっとたどり着いたのに「並ぶ!しかも日陰なし…」。スピーカーから聞こえてくるのは「ただ今、高温注意報が発令されています。水分を取って…云々」暑い…。でも、いつでも行ける!と思って、今まで先送りしていた大阪城。「今日こそは!」と、やって来たので、素直に並びました。

さあ、大阪城天守閣へ!

大阪城天守閣からの眺め
 大阪城内1階は案内所とショップ、2階は「お城」の情報、3・4階は「秀吉とその時代」の展示、5階は「大坂夏の陣図屏風の世界」の展示、7階「秀吉の生涯」の紹介、8階が展望台となっていました。8階、地上50mの天守閣からの眺めは最高! 生駒や六甲山、あべのハルカスなど、大阪の町と遠方の山々などが良く見えました。天守閣の高さを体感できるのは、素晴らしいですね!!

 でも建造物としては昭和のコンクリート建築ゆえ、お城の形をしたビルという印象でしたが…。でも大阪城全体の世界観は「ザ・大阪、これぞ秀吉」という豪快な感じがあり、秀吉の足跡を知る、学ぶ,には、大阪城が最適かもしれないなと思いました。なぜなら…京都には秀吉のゆかりのピンの文化財は残っていますが、スケールの大きな建造物や分かりやすいスポットが少ないからです。

京都の豊国神社は…

京都・豊国神社の唐門(国宝)

大仏殿を囲んだ石垣
 さて、その京都。さきほどの豊国神社は東山七条、京都国立博物館に隣接しています。秀吉をエリアで体感できるのは市内では、このエリアと伏見の城下町でしょう。でも、それも大阪城の様に分かりやすく残っているのではないので、見た目は地味です。ただし残っているモノはスゴイ! 例えば、伏見城の遺構と伝わる豊国神社の「唐門」は国宝。宝物館には「秀吉の歯」が展示されています。血液型はO型です。

 また長谷川等伯親子に描かせた障壁画も智積院に伝わり、これも国宝。奈良の大仏より大きかった秀吉の大仏はありませんが、豊国神社と隣接する方広寺大仏殿跡は公園で、石塁・石塔(馬塚とよばれる秀吉ゆかりの供養塔)は残っています。大仏はありませんが、大仏前郵便局や大仏前交番、大仏餅などが、その歴史を伝えています。


大仏前交番

大仏殿跡公園
伏見と街中の秀吉ゆかり

伏見桃山城

北野天馬宮の御土居

鷹峯の御土居
 伏見には伏見桃山城がありますが、あれはレジャー施設が昭和に造ったもので、そのレジャー施設も閉園し、現在は京都市の所有になっています。伏見城は秀吉も家康も築城しましたがいずれも現存しません。今、ある伏見桃山城は街のシンボルで、一般の方は中には入れません。

 所変わって、秀吉が京都の町をグルリと約23キロを土塁と堀で囲った「御土居」がありました。現在もわずかに残っている御土居の史跡登録は9カ所。北野天満宮境内、鷹峯などに、その痕跡を残しています。鷹峯の和菓子店では、それに因んで「御土居餅」が販売され、なかなか美味です。

 そして、もう跡形もない聚楽第。歴史を知っていれば、秀吉がした大事業は、町の区画整理、三条大橋の架橋などです。

 秀吉が手掛けた数々の事業は、京都の町に溶け込んでいるのですが「これぞ秀吉!」と感じるものではない…寄進した文化財や手掛けた庭園は、例えば伏見稲荷大社の楼門、醍醐寺三宝院庭園などです。あることはあるのです。

 でも安土桃山時代の高度な技術、国宝、重文クラスの文化財の数々の中には秀吉のバックアップによって生まれたものも少なくない、それが京都の秀吉なのかもしれませんね。


三条大橋

御土居餅
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ