


大阪城
こんな暑いのに皆すごいなと、自分もその群衆の一人であることは棚に置き、感心しました。ということで、今回は秀吉の京都と大阪のゆかりを辿りながら、熱く?語ります。


大阪・豊國神社

大阪・豊國神社の秀吉像

大阪城
京都の「豊国神社」は秀吉没後の翌年(1589年)に創建され、荒廃するも明治に再興。大阪の「豊國神社」は、その再興後の明治12年に別社として創建とのこと。ちなみに大阪は國の字で「ほうこくじんじゃ」と読み、京都は国の字で「とよくにじんじゃ」と読みます(だけど京都の皆さんは「ホウコクさん」と親しんで呼んでいる)。
大阪の豊國神社では参拝者を出迎えてくれるのが全長5.2mの秀吉像、大きいです。
「そういえば、京都には秀吉の野外の銅像ないな…」などと思いながら、いよいよ桜門をくぐり、大阪城天守閣へいざ!
「え!!!並んでいる…」汗が滝のように流れ落ち過酷な状況の中、ようやく、やっとたどり着いたのに「並ぶ!しかも日陰なし…」。スピーカーから聞こえてくるのは「ただ今、高温注意報が発令されています。水分を取って…云々」暑い…。でも、いつでも行ける!と思って、今まで先送りしていた大阪城。「今日こそは!」と、やって来たので、素直に並びました。


大阪城天守閣からの眺め
でも建造物としては昭和のコンクリート建築ゆえ、お城の形をしたビルという印象でしたが…。でも大阪城全体の世界観は「ザ・大阪、これぞ秀吉」という豪快な感じがあり、秀吉の足跡を知る、学ぶ,には、大阪城が最適かもしれないなと思いました。なぜなら…京都には秀吉のゆかりのピンの文化財は残っていますが、スケールの大きな建造物や分かりやすいスポットが少ないからです。


京都・豊国神社の唐門(国宝)

大仏殿を囲んだ石垣
また長谷川等伯親子に描かせた障壁画も智積院に伝わり、これも国宝。奈良の大仏より大きかった秀吉の大仏はありませんが、豊国神社と隣接する方広寺大仏殿跡は公園で、石塁・石塔(馬塚とよばれる秀吉ゆかりの供養塔)は残っています。大仏はありませんが、大仏前郵便局や大仏前交番、大仏餅などが、その歴史を伝えています。

大仏前交番

大仏殿跡公園


伏見桃山城

北野天馬宮の御土居

鷹峯の御土居
所変わって、秀吉が京都の町をグルリと約23キロを土塁と堀で囲った「御土居」がありました。現在もわずかに残っている御土居の史跡登録は9カ所。北野天満宮境内、鷹峯などに、その痕跡を残しています。鷹峯の和菓子店では、それに因んで「御土居餅」が販売され、なかなか美味です。
そして、もう跡形もない聚楽第。歴史を知っていれば、秀吉がした大事業は、町の区画整理、三条大橋の架橋などです。
秀吉が手掛けた数々の事業は、京都の町に溶け込んでいるのですが「これぞ秀吉!」と感じるものではない…寄進した文化財や手掛けた庭園は、例えば伏見稲荷大社の楼門、醍醐寺三宝院庭園などです。あることはあるのです。
でも安土桃山時代の高度な技術、国宝、重文クラスの文化財の数々の中には秀吉のバックアップによって生まれたものも少なくない、それが京都の秀吉なのかもしれませんね。

三条大橋

御土居餅