風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
戦乱を生きた才知、ダンディ 細川幽斎
 新年、明けまして、おめでとうございます。今年も旅してみたくなる「へえ~」の楽しい京都とゆかりの地をお届けしたいと思います。

 京都を旅していると初めは興味がなかった同一人物のゆかりに度々出会う事があります。好みで「この庭、この寺、好きだな~」と思っていた共通項が「バシッ」とある人物に至ったケースがあります。それが戦国時代の武将・文化人「細川幽斎(藤孝)」でした。

 南禅寺の塔頭「天授庵」、大徳寺の塔頭「高桐院」は元々、私の大好きな寺でしたが、そうか! 共通項は細川家だ! と気づいた時から、頭の片隅には、細川幽斎や息子・忠興が秘かに存在。別件で舞鶴や長岡京に行ったときも、細川家ゆかりのスポットに興味津々となっていた私。そこで出会う彼らのドラマが、また、どれもいい話で…でも私、怠け者ゆえ、より深く調べたり、勉強もせず、時が経過…。


東京・文京区にある「肥後細川庭園」入口
 そんな折、東京・文京区の新江戸川公園が名称変更し「肥後細川庭園」になったというニュースを目にしました(平成29年3月改称)。「おお~気になる」。なぜなら、その庭園は元総理の細川護煕氏(18代目)にいたる現在の細川家(肥後熊本藩)の江戸屋敷跡で、その流れの細川家初代が幽斎なのであります。さらに追い打ちをかけるかのように庭園に隣接する永青文庫で、なんと「京都・南禅寺天授庵の襖絵、初公開」のチラシを入手。「京都でなく東京で襖絵が見られる! これは何としても行かねば」と…そんな次第で私の細川幽斎LOVEという私情を今回は押し付けることになりますが、ご紹介いたします(熊本も重要な場所ですが、幽斎の孫からの転封先です。東京と京都でご勘弁を)。
東京にある細川家の名園

「肥後細川庭園」秋

 東京・文京区目白台にある「肥後細川庭園」。幕末に肥後熊本藩の藩主細川家の下屋敷となった場所で、所有者は度々変わったものの細川家の御殿の面影を残した池泉回遊式庭園です。現在の所有者は文京区。庭園内には学問所として使用されていた「松聲閣」が地元の人々の集会所として利用され、また細川家の所蔵品を展示している永青文庫も隣接されています。美しく優雅な庭園で、東京とは思えない風情があります。幽斎へと続く空間がここにある、それだけで思いを馳せて、感激してしまう私でありました。

肥後細川庭園に隣接する「永青文庫」

「肥後細川庭園」にある「松聲閣」
京都にある美しいゆかりの禅寺
 一方、京都。私の大好きな南禅寺・天授庵。四季折々すばらしい庭ですが新緑もお薦めです。この寺は幽斎が再興、細川家の菩提寺の一つ。晩年、京都で隠居していた幽斎の墓もあります。また幽斎の息子・忠興が創建した大徳寺・高桐院は紅葉の名所としても知られています。千利休の弟子であった忠興、その師弟関係の良好さを物語る石燈籠、歴代の細川家当主の墓、ガラシャの墓などもあり見どころも多いです(高桐院は現在、改修工事のため平成31年3月31日まで拝観不可)。



大徳寺塔頭 高桐院 初夏の参道と細川家歴代の墓

南禅寺塔頭 天授庵庭園 初夏と紅葉
京都府内にあるゆかりの居城跡

長岡京市 勝龍寺城跡

勝龍寺城跡 庭にある忠興とガラシャの銅像

舞鶴市 田辺城跡

ゆるきゃら ゆうさいくん
 そして長岡京市にある勝龍寺城跡、幽斎が城主となり、有名な明智光秀の三女・玉(後のガラシャ)が忠興に嫁いだ城です。夫婦仲は良かったらしく「本能寺の変」が起るまでは幸せな結婚生活を送っていました。庭には忠興とガラシャの銅像もあります。

 勝龍寺城居城の後、信長から丹後国を治める命が幽斎に出て、一族の拠点は丹後へ移ります。その居城跡が西舞鶴にある舞鶴公園。幽斎と忠興が築城した田辺城がここにありました。現在、城郭はありませんが城門が復元され、2階が資料館となっていて見学ができます。入り口には舞鶴市商工会議所青年部のゆるきゃら「ゆうさいくん」が出迎えてくれます。

 この田辺城は「関ケ原の合戦」の前哨戦となった舞台。石田三成勢1万5千人の敵に囲まれ、わずか500人で1か月半も籠城した幽斎。交渉に応じず、死を覚悟し、その緊迫した、まさにその時、「幽斎を殺してはならぬ(自害もさせてはならぬ)」という天皇の勅命が届く話は有名です。この勅命で敵の包囲が解かれ、幽斎は助かります。公園内にはその幽斎の命を繋いだ「古今伝授」にちなむ「心種園」があります。幽斎は武将として何人もの家臣となり生き抜くのですが、いざという時にブレないカッコよさがあります。その戦国の中、一流の文化人として教養を育んだ、そこがスゴイ。あ、なぜ天皇が幽斎の命を救ったか? と言うと、「古今和歌集」の解釈や様々な学説は秘伝として師から弟子に伝承されます(これを「古今伝授」と言います)。この時代の伝承者は細川幽斎、唯一人であったため、幽斎が死んでしまっては、その文化(歌道の奥義=ココで言う古今伝授)が断絶してしまいます。それを、どうしても回避したかったゆえ、勅命が下り、延命したということになります。

 古今伝授にちなむゆかりの地は、この他に長岡天満宮、そして熊本・水前寺公園などにもあります。細川家ゆかりのスポットは京都にもまだまだ沢山あります。熊本にも20年位前に行きましたが、また再訪したいものです。

「大河ドラマ」にしてほしいな・・・
 それから数年前から「ガラシャ・光秀・幽斎・忠興」を中心に「大河ドラマ」を誘致しよう! という推進協議会があり、私も署名しました。単独では歴史史上的に知名度が低いかもしれませんが、この4人、4人ともドラマチックな人生です。関連する周囲の人々は信長、利休、秀吉を始めBIGな面々ですゆえ、決して見劣りはしないはず。頑張れ!「大河ドラマ」になってほしいぞ!! ということで「細川幽斎」を中心に今回は巡ってみました。
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ