風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
桂小五郎の逃亡を追ったら…グルメ旅
 
 4月、皆様の町の桜はいかがでしょうか? 東京の満開も早かったですが、京都の桜も例年よりやや早め? と感じます、春爛漫ですね。

 さて今回はNHK大河ドラマ「西郷どん」の一つの見所となるであろう「薩長同盟」にちなみ、「京都と鹿児島」は早々にお伝え済なので「長州」に注目。長州藩士・桂小五郎(のちの木戸孝允)のゆかりを旅してみます。と言っても行先は山口県ではなく兵庫県です。


出石城跡から街を望む
出石の町のシンボル辰鼓楼(時計台)
京から出石へ逃げろ!
 京都御所が戦場となった「禁門の変」に敗れた長州藩。桂小五郎も、また逃亡します。「また」というのは、桂小五郎は度々、難を逃れ生き延びた強運の持ち主なのです。その一つが池田屋事変。あの時も、池田屋で新選組に捕えられ、斬り殺されていてもおかしくないのに、運命の巡り会わせでしょう、上手く逃げ切っています。そして禁門の変もしかり。その逃亡を追う旅に出掛けてみました。

出石に建つ桂小五郎の住居跡碑
 禁門の変の後、桂は出石の兄弟町人に逃亡を助けられ、京都を脱出し出石へと逃げます。その兄弟の名は「甚助と直蔵」。彼らは出石で荒物屋を営んでおり、2人の配慮によって偽名を使って(広江と名乗り、広江屋の主人となり)、住民のごとく、町内にかくまわれていました。潜伏期間は約9か月だったようです。しばらくしてから京都の愛人である幾松(後の妻・松子)とも、出石で合流したようです。潜伏の間、情勢を見守り、その後の構想を、出石で練っていたのかもしれませんね。

出石そば
 さて、その出石と言えば「蕎麦」です。本音を言えば、桂は建前で、むしろ美味しい蕎麦を目当てに行ったようなものでして…(ごめんなさい)。その有名な出石皿蕎麦は、江戸時代中期(1706年)に信州上田から国替えとなった仙石氏(ここから7代に渡って出石藩主)が、そば職人を出石に連れてきたのが始まり。小皿に蕎麦を盛る、割り子蕎麦形式となったのは幕末で、その後、出石焼(白地の焼物)が始まり、白地の小皿に盛る様式に変化してきたとのこと。…ということは、桂と幾松も、この信州から伝わった出石蕎麦を食していたはずです。とても風味もあって美味しい蕎麦。沢山、お店があるので、どの店へ入ったらよいやら迷います。1度の食事では食べ比べは出来ませんが、お近くにお住まいの蕎麦好きは全店回っているというお話も聞きました。
幾松と城崎温泉へ

外湯めぐりが楽しい城崎

カニ王国とPRする城崎
 さて桂に話を戻します。出石の潜伏中に幾松と共に北上し、城崎温泉へも訪れています。逃亡者と思えない余裕ですね(苦笑)。幾松としばしラブラブな時を城崎で過ごし、そして、大坂経由で長州へ戻ったようです。城崎では「旅館つたや」(当時は松本屋)が、桂の様子を今に伝えています。逗留した部屋「桂の間」や遺墨の書など、ゆかりの品も残っています。

 さて城崎と言えば、温泉とカニ!! 城崎は自らを冬場に「カニ王国」としてPRしています。私が訪れたのも12月、カニが目当てでしたので、ランチは蟹丼、夜も蟹三昧でした。

 城崎温泉ロープウェイで山頂に登ると「かに塚」がありました。美味しく頂いた蟹に感謝し、供養する塚です。そして山頂からの日本海の眺望、この日は曇天でしたが、それでも冬の海を見ることはできました。勿論、温泉も素晴らしく、外湯めぐりを満喫。私、城崎温泉は実は2回目、また来たいなと思える温泉地です。桂の逃亡先、なかなかナイスだな。


城崎・日本海を望む
城崎にある「かに塚」
京には屋敷と達磨堂
ホテルオークラの西側に建つ「桂小五郎像」
 最後に京都のゆかりの地を少しご紹介します。

 有名なのは長州藩邸跡地に建つホテルオークラ京都の敷地脇に建つ「桂小五郎像」ですね、なかなかイケメンです。その銅像から丸太町通の手前まで北上すると、鴨川沿いに「木戸孝允旧邸」があります。


お宿「いしちょう」のあたりが木戸孝允邸宅跡
 お宿「いしちょう」のあたりに碑が建っています。裏手には京都市厚生会職員会館「かもがわ」という施設があり、この会館が、木戸孝允旧邸と庭、そして木戸の養子・忠太郎のコレクションした達磨が収められている達磨堂を管理しています。

京都・木戸孝允邸
 邸宅は一部ですが、木造2階建て、庭もキレイに整備されています。ここに明治10年、明治天皇が病床の木戸をお見舞いに行幸しています。流石の「逃げの小五郎」も病には勝てず、わずか44年という短い人生を京都で終えます。
木戸孝允邸宅跡に隣接する「達磨堂」
 また隣接している達磨堂もお薦め。木戸の養子・忠太郎が明治末から昭和にかけて収集した達磨が大集合。玩具、日常品、書画、工芸品など、ありとあらゆる“達磨”が数万点も保管してあり、その一部を公開しています。邸宅は外観だけ、達磨堂は内部も見学できますので、管理する職員会館かもがわの受付にお申し出ください。(曜日によってはNGです)この達磨のコレクションがなかなか見応え充分です。
京都霊山に眠る 木戸孝允の墓
 そんな桂小五郎と幾松(松子)は、京都の東、霊山護国神社の墓地に二人仲良く並んで眠っておられます。日本の転換期、激動の時代に、支え合って戦を超え、難を逃れ、二人の強い愛が感じられる逃亡ルート、私にはグルメ旅でありました。「西郷どん」で桂が登場したら、出石蕎麦とカニを思い出してしまいそうだな…。
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ