風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
近所にいてくれたらいいな…超カッコいい、物知りスーパー爺さん
 「京都」というキーワードで各地のスポットを訪ねる旅。今回は、佐賀県へ行ってきました。
憧れの絵師・若冲が尊敬していた元高僧?
肥前通仙亭に展示されている売茶翁画
 毎年6月17日、京都・相国寺では毎年「観音懺法」といわれる儀式作法が行われています。その際、2016年大フィーバーとなった伊藤若冲筆の仏画三幅が掲げられます。明治までは、現在宮内庁の御物「動植綵絵」30幅も、この日、相国寺の方丈に掲げられていました(動植綵絵30幅と仏画3幅は若冲が相国寺に寄進)。

 その若冲の動植綵絵を鑑賞して「神の技だ」と大絶賛した人物・佐賀出身の売茶翁(高遊外・月海)のゆかりの地を今回、訪ねました。

 褒めてくれた売茶翁の一言を、若冲はわざわざ落款にして、自信作の4作品だけに押しています(専門家曰く、恐らく自信作との推測)。

 さらに人物画を書かなかった若冲ですが、売茶翁の肖像画だけは幾つか描いています。二人には40歳ほどの年の差がありますが、若冲は売茶翁を尊敬し大好きだったと考えらえます。高僧の身分を離れ、京で茶を売って生きた売茶翁。彼の生きざまや精神から強く影響を受けた、当時の多くの文化人たち。伊藤若冲や池大雅、木村兼葭堂などなど。そして同時代の永谷宗円の新しい茶の誕生とともに売茶翁は「煎茶道の祖」という偉大な足跡も残します。

 肖像画が晩年ばかりなので、私には、大変失礼な表現ですが、「超カッコいい、何でも知っている物知り、スーパー爺さん」です。もし同じ時代に生き、近所におられたら、怒られたり、諭されたり、叱られたりするけれど、つい会いに行ってしまう、そんな雰囲気の人物。身分に関係なく茶を施し禅を問いてくれたそうだから、こんな私にもきっと接してくれたはずです…ということで、売茶翁を知りたくて、生まれた佐賀へ、修行した寺の跡地へ行ってきました。

売茶翁のゆかりの佐賀・龍津寺跡
龍津寺跡への最寄りバス停
佐賀賢人「売茶翁」のスポットを目指せ!
 「墓地に碑しかない…」と分かっていますが、いざ、出発。佐賀駅からバスで約20分、1時間に1本しかない路線。最寄りのバス停「東ノ巨勢」で下車。そこに売茶翁の師である僧が開いた黄檗宗の寺「龍津寺(りゅうしんじ)跡」がありました。元境内と思われる場所に売茶翁顕彰碑が建ち、売茶翁の案内板、プレハブ小屋? の中に仏像、寺の参道だったのか? と思われる道には石標がありました。墓地に「柴山家の墓」(売茶翁の本性は柴山家)もありましたが、売茶翁の縁のある家であるという明確な記載は看板にはなく、わかりません。「まったく寺の面影はないけれど、確かにこの場所で売茶翁は11歳で得度し、修行し、師とともに歩んだ日々があったのだな~」と…。
佐賀市蓮池町の龍津寺跡地に建つ売茶翁顕彰碑
売茶翁が得度し修行した龍津寺跡
 師の死後、龍津寺は弟弟子が継ぎ、売茶翁は68歳までは各地と佐賀を行き来しますが、消息不明な期間もあります。そして永久に藩に戻らなくてOKという藩の特別待遇を得(当時、藩の国法として藩外に離れる期間は最長で10年と決められていた)、佐賀を後にします。売茶翁は京都で没しますので、その後、故郷へ戻ったという記録は私の調べる限りはありません(手紙やモノを佐賀のゆかりの人の元へ送った記述はある)。どんな思いで佐賀を後にしたのか?
佐賀市内にある肥前通仙亭
肥前通仙亭に建つ売茶翁記念碑
佐賀市内の情報発信地「肥前通仙亭」
 次は市内中心部にある佐賀市地場産品交流会館として平成22年に開館した「肥前通仙亭」に立ち寄りました。「通仙亭」とは、売茶翁が京都の鴨川のほとりに開いた喫茶(店)の名称です。ここでは売茶翁に関する資料の展示、情報発信、そして煎茶がいただけます。売茶翁にちなんだお茶や煎餅なども販売。建物の前には売茶翁直筆の詩と若冲の売茶翁の画がデザインされた顕彰碑が建っています。

 私が訪ねた日は台湾からの団体が、ここで煎茶体験をするとのこと。お茶文化を世界にも発信させている施設です。最後に佐賀駅構内観光案内所で「佐賀賢人 売茶翁」の缶バッチを自分の思い出に購入。売茶翁の故郷を後にしました。

肥前通仙亭では煎茶がいただける
肥前通仙亭の施設内
佐賀賢人の一人として親しまれている
売茶翁の缶バッジ
売茶翁の顔が焼き印されているおせんべい
京都の通仙亭は当時の文化人のサロン
宇治・万福寺
 さて京都ゆかりのスポットは、まず宇治・万福寺。売茶翁の師は万福寺で修行した黄檗宗の高僧。それゆえ佐賀の龍津寺と萬福寺は当時、強い繋がりがありました。境内には売茶翁顕彰碑、売茶堂があり、毎月16日(命日)には法要も行われています。ちなみに万福寺には日本煎茶道連盟の本部もあります。

 伊藤若冲と売茶翁の共作があるのは、裏寺町の宝蔵寺。この寺には伊藤家の墓があります。寺宝の若冲筆「髑髏図」に売茶翁が賛を入れています(寺宝公開は毎年2月の数日間のみ)。

宇治・万福寺の売茶翁顕彰碑
 そして賀茂川沿い(府立植物園の西、半木の道の南)には売茶翁顕彰碑が建立されています。ここにも肥前通仙亭と同じく、売茶翁の直筆の詩と若冲の描いた売茶翁肖像画が刻まれています。近くに桜の名所「半木の道」があるので、お花見に合わせて、碑も探してください。

 ちなみに売茶翁は東福寺近くの鴨川沿いに通仙亭という喫茶店を出していましたので、この碑の場所ではありません。ただ季節ごと、よき所で野点を出し、そこで茶を売っていました。冒頭で述べたように、売茶翁の行くところ、そこかしこが当時の文化人が集まる「サロン」だったということです。

宇治・万福寺の売茶堂
 売茶翁の最期は茶道具を自ら処分し、墓を作らず、遺言により粉骨して鴨川に流したとのこと…終活もカッコいいな。

 そして…毎日飲む、急須でのお茶。売茶翁が広めた煎茶文化は私の日々の生活の中にある…と。お茶を急須で入れない家庭が増え残念だけど、売茶翁を知らずとも、煎茶は愛飲され続けていること、その功績は偉大だ!!

京都・賀茂川沿いの売茶翁顕彰碑
宝蔵寺の御朱印帖と御朱印。左にデザインされている若冲作の「髑髏図」の賛が売茶翁
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ