福岡市にある平野神社。國臣生誕地
京都ゆかりの人物を訪ねる旅、今回は福岡へ。
さて皆様、現在放送中のNHK大河ドラマ「西郷どん」をお楽しみいただいているでしょうか? 京都が舞台となるシーンもあるので、私は興味深く見ています。幕末~明治にかけては、薩摩、長州、土佐、会津の藩士たちが大活躍しているという強い印象をお持ちの方も多いかと思いますが、実は福井や水戸藩などの志士も要です。そして今回、ぜひ紹介したいのは、福岡藩士の平野國臣という人物。「国家統一」を掲げ、一匹狼風に軽やかに奔走し、そして信頼の厚かった知られざる志士。私は福岡出身ではありませんが、福岡の誇りと言っても過言ではない、そう感じていました。そして今回、実際に福岡を訪ねてみると、その思いは、より一層確かなものに。では、今回は國臣の足跡を追い、福岡と京都へ参りましょう。
平野神社(福岡市)には歌碑や顕彰碑が建つ
太宰府の月照ゆかりの地には國臣ら幕末の人々の足跡が
福岡市中心部、國臣の誕生した地には彼を祀る「平野神社」がありました。小さな社、広くない境内ですが、きれいに整備されており、地元の方々が大切に親しみを持って守っている社であることは、すぐに分かりました。平野神社は社務所もなく無人。それゆえ近くにある鳥飼八幡宮が管理の一旦を担っているのでしょうか、寄ってみると、國臣の冊子や情報がありました。宮司さんとしばしの間、國臣の話で盛り上がり、楽しいひと時。
大河ドラマの話になり「西郷と月照の入水自殺の場面に、どうして國臣が登場しなかったのか?(納得できない!)」と二人で意気投合。そうなのです。錦江湾で二人が入水自殺をするとき、國臣はその場にいたのです。まず月照を鹿児島まで無事に送り届けたのは國臣であり、そして入水時は同船、二人を助けようとしたのは國臣。一命を取り留めた西郷にとって、國臣は命の恩人。宮司さんと、そんな國臣の活躍を語れるのも、旅の醍醐味です。
太宰府に一時滞在した宿の庭にある月照の歌碑
補足しますと、太宰府に身を潜めた月照。國臣の最初の赴任地でもある大宰府ゆえ、國臣に月照を任せたのも鹿児島までの段取りや土地勘があってのことと考えられます。(ちなみに1858年に國臣は脱藩)太宰府で滞在した宿「松屋」は現在、喫茶・土産物店となっており、庭には月照の歌碑が建っていました。太宰府名物の梅ケ枝餅も美味しかったです。
西公園(福岡市)平野國臣銅像の案内板
鳥飼天満宮で宮司さんとお別れしたあと、近くの西公園に建つ、銅像へと向かいました。銅像は大正4年に建立されるも、昭和18年、戦時供出され、現在は2代目とのこと。公園の高台に立派で大きな國臣の銅像がありました。福岡のヒーローですね。享年37歳だったはずなのに、銅像は威厳をつけたかったのか?老けて見えましたが…とにかく大きい!
さて、今度は京都の國臣ゆかりのスポットへ。國臣は「国家統一」のために、奔走します。幕府を倒す一策として、但馬の国・生野で農民層と共に代官所を襲います。この事件は「生野の変」と言い、その行動は「維新の魁」とも言われています。結局、その策は失敗に終わり敗走。國臣は捕らえられ、京都に身柄を移されます。幕末、政治犯が大勢収容されていた六角獄舎。そこに國臣も収容されます。獄舎では、こよりで「国家統一」の見解、策を書簡で送るなど、最期まで孤高に志を抱き続けました。獄舎は現在、ありませんが、その地には歴史を刻む碑が建っています。
そして、起った「禁門の変」別名「蛤御門の変」。激戦地は京都御所内外でしたが、あちこちから火があがり、六角獄舎にも火の手が迫ります。どさくさに紛れ、逃走されては困ると、慌てた幕府役人は、國臣をはじめ30数名を次々と斬首してしまいます。國臣、享年37歳。
霊山護国神社にある福岡藩の招魂社には國臣の碑も
霊山護国神社の福岡藩の招魂社には國臣の活躍を示す顕彰碑
清水寺境内に建つ西郷・月照の供養碑と國臣の詩碑
結局、火の手は堀川で留まり、獄舎には届かなかった…というむごい史実。
「各藩で内戦している場合ではない、目指すは国家統一!」と訴えた國臣が、こうした薩長指導の内戦によって絶たれてしまうとは…無念です。
時が流れ、國臣ら六角獄舎で斬首した30数名の骨が発見され、現在は上京区の竹林寺に改葬されています。観光社寺ではありませんが、門前には駒札が建ち、その國臣らの歴史を伝えています。
そして、東山区にある霊山護国神社の維新志士墓には招魂社が建てられています。福岡藩招魂社もあり、そこには國臣の功績を刻んだ立派な顕彰碑、供養碑があります。
また、西郷、月照の運命に関わったことで、月照ゆかりの清水寺境内にも二人の供養碑のすぐ脇に國臣の「西海波間記」が刻まれた詩碑が建っています。
時代がもう少し、ほんのわずか、進んでいたら、國臣は新国家で活躍したことしょう。そして私が興味深いのは、政治活動家だけでなく、有職故実研究者として、また和歌にも長けていたマルチな國臣に惹かれます。
幕末、生き残った人物、自ら命を絶った人物、理不尽に命を奪われた人物、さまざまな人生の長短。その人に思いを馳せて、称え、語り継ぎ、その人生の英知から学び得ていくことが、供養に通じるのではないかと今回も感じました。
最期に「西郷どん」の入水自殺の名場面では國臣は登場しなかったのに、数話後の寺田屋騒動の回に、なんと、ようやく平野國臣登場…。
今回は福岡と京都の旅でした。