風土47
今月の特集 アウトドアシーズンも本番・ハイキングのお供
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風薫る5月になりました。
北海道でも桜が咲き、残雪の高地でもミズバショウなどの高山植物が花開きます。ようやく日本全国で行楽ムード全開です。
爽やかで気持ちのいいこの季節、山歩きやハイキングに出かける方も多いでしょう。
そこで、今回は自然の中を散策するときに連れて行きたいお供をご紹介します。手軽に持ち運べて、おいしくて栄養補給にも役立つ。そんな観点で選びましたが、さらにプラスアルファの魅力のある品がそろいました。風土や歴史的背景、先人の知恵が表現されたものばかり。味と一緒に、商品にまつわるうんちくもぜひ楽しんでください。
取材/撮影 中元千恵子(トラベルライター 日本旅のペンクラブ、日本旅行作家協会会員)
アンテナショップおすすめ「アウトドアシーズンも本番・ハイキングのお供」
※ご紹介した商品は品切れしている場合があります。在庫を各アンテナショップにてお確かめください。
 また、商品の価格は掲載時のものですので、変動があることをご承知おきください。
佐井村・佐井村漁業協同組合
ホタテソフト (100g 1,000円)
魚介の宝庫である青森でも、特に有名なのがホタテ。下北半島と津軽半島に守られるように囲まれ、八甲田山系からミネラル豊富な水が流れ込む陸奥湾では、良質なホタテが生育する。その睦湾産のホタテの貝柱を丸ごとボイルし、ホタテ本来の旨味と食感を生かしたのがこの商品。軟らかくジューシーで、子どもからお年寄りまで愛されている。リピーターが多いのも特徴。ひとつずつ包装され、持ち歩きやすく、食べやすいのもうれしい。
ホタテソフト
まめやの豆菓子
郡山市・まめや
いり豆 (150g 420円〜)
磐梯豆 (黒糖、抹茶など) (100g 262円)
せん豆 (110g 420円)
七味みそ豆 (100g 262円)
福島県は大豆消費量が多いところ。たとえば、福島市は毎年、納豆生産量日本一の水戸市と並んで、納豆消費量のトップ争いをしている。県内では国産大豆を守るための「ふくしま大豆の会」も結成され、大豆を愛する県といえそうだ。その福島で生まれたのが「まめや」の豆菓子。国産の白、黒、茶、青肌の4種類の大豆を、14〜15時間たっぷりと水に漬け、1時間かけて丁寧に煎り上げる。噛みごたえはあるのにサクサクと軟らかく、香ばしい。砂糖がけやみそ味など味もさまざまに揃い、ハイキングや外出のお供にぴったり。特におすすめは、さっぱりとして豆本来の味が楽しめる青肌大豆のいり豆。
黒部市・四十万こんぶ
ヘルシーこんぶポケット・IN (210円〜)
富山では昔から昆布をよく食べる習慣があるそうだ。「北前船で、北海道から良質の昆布がたくさん運ばれて来た歴史があるからでしょうか」と地元の人は言う。お年寄りなどは、今も昆布を持ち歩いておやつ代わりに食べている人も多いのだとか。そんな風土から生まれたのが、携帯用のヘルシーこんぶ。北海道羅臼産の昆布をそのまま小さく切って包装してある。低カロリーでミネラルたっぷりの昆布は、ダイエット中のおやつにもおすすめ。
ヘルシーこんぶポケット・IN
野沢菜茶漬
安曇野市・おむすびころりん本舗
野沢菜茶漬 (4g×7袋 おむすび14個分 370円)
ハイキングなどで朝早く出かける場合でも、やっぱりお弁当は手作りのものを持っていきたい。そこで、時間のないときにも便利なのがこの商品。温かいご飯にそのまま混ぜてむすぶだけで、野沢菜風味のおいしいおにぎりができる。信州名産の野沢菜は、霜に何回かあたった後に収穫すると、野沢菜漬けにしたときに軟らかくておいしくなる。霜にあてたおいしい刻み漬けを氷点下40度で凍結し、おいしさそのままを閉じ込めている。
桜井市・柿の葉すし山の辺
柿の葉寿司 (5個入り 630円~)
吉野町・柿の葉ずし総本家平宗
柿の葉ずし (3個入り 420円~)
奈良や和歌山の名物である柿の葉寿司は、海の幸であるサバと、山の産物の柿の葉を融合させた、味わいと保存性に優れた逸品。江戸時代に両県を流れる紀の川流域で誕生したといわれる。もとは、熊野灘のサバを船で運ぶ際、腐らせないように塩漬けにしたのが始まりで、やがて塩でしめたサバを一口サイズのご飯に添え、抗菌作用や防腐作用のある柿の葉で包むようになった。脂ののった甘みのあるサバと柿の葉の香りが食欲をそそる。
柿の葉寿司
朝鮮飴
熊本市・老舗園田屋
元祖朝鮮飴 (200g 630円)
熊本市・心月堂
朝鮮飴 (230g 500円)
熊本市・清正製菓
朝鮮飴 (200g 367円)
江戸時代中期まで肥後熊本藩が買い上げ、市販が許されていなかったという銘菓。400年あまり前、老舗園田屋の開祖が作り始め、その頃は長生飴と言っていたが、文禄元年(1592年)から行われた豊臣秀吉の朝鮮出兵のおり、同行した当時の肥後熊本藩主加藤清正の軍がこれを携行。兵糧として使い、長期の保存に耐えたことに感心し、「日本一の保存食」と称賛したという。それ以来、朝鮮飴と呼ばれるようになった。飴という名前だが、食感は餅に近い。もち米と水飴と砂糖を混ぜ合わせて作る求肥餅の一種で、なめらかな舌触りと控えめな自然な甘さがあとを引く。